「花束みたいな恋をした」の生活とお金
映画「花束みたいな恋をした」、早くも今年一番だ…と断言したくなるような映画でした。一組の文化系カップルの5年間を切り取ったストーリーで、人が恋に落ちる瞬間と、分身のような相手を愛おしむ気持ち、そして少しずつ変わっていく相手に向ける複雑な感情――と、これ以上ないほど「恋愛」を描いた作品でした。
(以降わりとネタバレをするので未読の方はぜひ見てね。傑作なので…)
麦が背負っていったもの
本作の一番つらいところは、「夢は絹(有村架純)との現状維持です」と宣言していた麦(菅田将暉)が、イラストレーターとしての挫折を経てECロジスティクスの会社に就職し、だんだんと変化していってしまうところでしょう。圧迫面接を受けて泣いていた絹にかつて「その人(圧迫面接してきた面接官)は今村夏子の『ピクニック』を読んでも何も感じないよ」と憤慨していた麦は、いつのまにかNewsPicksBooksの『人生の勝算』を本屋で手に取り、積読を読む気がせずパズドラしかやる気持ちになれない疲弊した社会人に変わり、「俺ももう感じないのかもしれない」と吐露します。
麦の生活は仕事に侵襲され、彼のやさしさや繊細さも仕事によって変化してきており、絹は違和感を覚えています。彼はなぜ変わってしまったのでしょうか。
ふたりの暮らしを考えていきたいところです。麦と絹が住んでいるマンションは京王線調布駅から徒歩30分。多摩川に臨む広めのワンルーム(バス・トイレ別、40平米くらい?)で、途中で猫を飼えているところからしておそらく築年数は古めです(もしかしたら築40年くらいかもしれません)。実際のロケ地の最寄り駅は矢野口駅ということですが、ふたりがフリーター状態でも払えるくらいで、かつ長岡の父親の仕送り5万円カットがおおきく響くというところからして、おそらく家賃は8~9万円あたりじゃないかと思います(10万円は超えなさそう)。
たまに感想を見ていると「麦はブラック労働により搾取・疲弊していって」という向きのものがあるのですが、麦の会社はややブラック寄りではありますが社内の雰囲気はそこまで悪そうではなく、ある程度年配の人も働いている(極端に若い人だけいるわけではない)、麦の下でも採用をしているという感じで、「残業なし」の看板は偽りしかないがちょっと忙しめの中小企業として描かれているように見えました。物流・営業ということで、給料は額面で25万円くらいからスタート(手取りは20万円前後)して、3年目で額面30万くらいになっているかなという感じでしょうか。
一方絹はクリニックの医療事務として働き始めています。都内だとだいたい20~25万くらい。そこからイベント会社に転職。「給料は下がるけど」と言っているし派遣ということもあり、額面18~22万(手取りは15万円前後)くらいかなと。
お互い都内ひとりぐらしでこの給料はキツめですが、ふたりぐらしなのでイニシャルコストはかなり抑えられます。一般的に住居費というのは収入の3割未満に抑えるといいと言われているのですが、家賃を9万と仮定すると麦・絹カップルの手取りは30万円以上あればそこそこ健全ということになります。ふたりの世帯月収は足しておそらく40万円を超えているので、わりと余裕があり、お互いに貯金もできそうな財布の状況です。実際、学生時代は「お金がないから文庫しか買えない」と言っていた絹は、社会人になってから単行本を新刊で躊躇なく買っているし、観劇なども積極的にいっているようなので、暮らしはカツカツではありません。若者が全体的に貧しくなっていることを坂元作品はていねいに拾い上げてはいて、「花束」でも全体に通底している空気ではあるものの、麦と絹は作中で富裕層ではないですがけして貧困カップルでもないのです。
実は「暮らしのために稼ぐ」――ふたりの生活を「現状維持」することだけを考えると、麦はそんなにシャカリキになって働く必要はありません。絹が収入は下がるけど転職を決断できたのも(いざとなれば実家があるだろうという思考は絶対にあったとは思いますが)、ふたりの生活がカツカツではないからでしょう。
麦は仕事が増えるたび、過剰に生活を背負っていきます。絹が望んでいるわけでもないのに「頑張って稼ぐから(絹は)家にいなよ」と、養うようなことを言ってしまう。労働でつらいことがあっても「生活のため」と言い切っています。ただ繰り返しますが、ふたりの暮らしは少なくとも現時点では(現状維持が目的であるなら)そんなに頑張らなくても、麦が一心に背負わなくても成立しているのです。
終盤、麦は結婚のビジョンを口にします。1~2人ほど子供を作って、ワンボックスカーを買って…という未来予想図です。この未来を実現するには、確かに麦と絹の収入では足りません。一般的に子どもの教育費用は大学まで出して1人あたり1000万円といわれています。18歳までにそれを用意するとして年に60万ほど貯めていくような計算なので、そうするとふたりは月にプラス5万は稼ぐ必要があるでしょう。1000万に子どもの生活費は含まれていないので、実際は月にプラス7~10万ほどあるといいかもしれませんね。
…というふうに、麦の未来予想図に照らすと、確かに今の麦・絹カップルの収入は頼りないものです。ただこの未来のビジョンは「現状維持」ではとてもないですし、麦と絹は同じビジョンを共有していません。ふたりの関係が決定的に破綻してから共有される光景です。とはいっても麦がこういった試算を現実的にしていたとは考えづらく、おそらく「もっと稼がないといけない気がする」というふんわりした気持ちと焦りで“責任”を負っていったように思います。
本当に「生活のため」“だけ”だったのか?
未来を勝手に背負ったことによって今が終わってしまうのは非常に示唆的ではありますが、同時に麦が仕事にのめりこんでいったのは、「絹との生活のため」と同時に、「自分のため」でもあったように思います。
『格差は心を壊す 比較という呪縛』を読んでいて、あっ麦くんやないか…!となった一節がありました。
現在、多くの巨大多国籍企業のCEOには、同じ企業で働く正規雇用者の最低賃金の実に300~400倍もの報酬が支払われている。社会的地位が賃金の多寡で決まる社会において、無価値な人間であることを知らせる効果的な方法は、同一企業で働く特定人物の0.25%の給料しか支払わないことだ。
この話はさらに相対的な貧しさというのはその人物の自尊心を損なわせるというところにつながっていくのですが、これはまさに「3カットで1000円しか払ってもらえなかった」麦ではないでしょうか。
麦もいくらなんでも3カット1000円が搾取だというのはわかっています。相場の金額感もあったでしょう。それよりずっと低い価格しか支払われないというのは、麦の自尊心を削っていきます。また3カット1000円に抗議したときに、「いらすとやでいいです」と言われたのもより自尊心を削られる言葉だったでしょう。
フリーのイラストレーターとしての活動は、麦の自尊心をボコボコにしていきました。それに対し、就職した先での仕事というのは、「やる気を見せると仕事を任される(おそらく給料もちょっとだけ上がる)」というふうに(相対的に)できており、やれば相場の金とそれなりの評価がもらえることそれ自体が、麦の自尊心を回復してくれたのではないでしょうか。
絹と別れ、半年ほどの時間を経て偶然再会するときの麦は、一番のめりこんでいたときよりもいくぶん余裕があるように見えます。同じ会社で落ち着いたのかもしれないし、もしかしたら転職をしてるかも。それはイラストレーター仕事で削られまくった自尊心が回復してきて、仕事への依存状態が改善されてきたということなのかなと感じました。ひとりぐらしになった麦くんの部屋の様子も荒れてなかったですし。
社会が彼をすり減らせたのはそうなのですが、同時に癒やしたものもある、だからこそ麦は仕事の侵襲を受け入れたところがある。これは麦に限ったことだけではなく、仕事というものがもっている強いパワーで、だからこそ人は妙に働きすぎてしまったり、仕事での役割を自分のアイデンティティにしすぎてしまったりするのだなと、そんなことも思いました。本作を見ると「社会が悪い」と言いたくなってしまいますが、社会も悪いが、しかし社会も悪いことばっかりじゃない…となんだかフォローを入れたくなってしまう気持ちも同時発生しますね。
↑シナリオブック。読み直してまた泣いてしまった。
↑topisyuさんが激推ししていたので読んだ。