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自分の課題と他人の課題

アドラー心理学には「課題の分離」という考え方がある。なにか人間関係の問題が発生した際に、その原因が自分にあるか(自分の課題)、他人にあるか(他人の課題)を切り分けて考えよという考え方である。他人の課題は自分でコントロールできない。他人の課題に悩んでいても自分ではどうしようもないのだ。

 

note.com

このnoteを読んで、本題でないところで感じたことはこれだった(本題は身分差の話をしている)。

非モテ、つまり「モテない人」のための文章なわけだが、「モテる」という言葉をインスタントにweblioで調べてみると「異性などから大いに好かれ、人気があること」と出る。「好かれたい」という願いは受身形の表現からもわかるように、他人の課題であり、自分にはコントロールができない。つまり、その人の悩みがどんなに切実なものだったとして、「モテないので、モテたい」という問題は(他人の課題であるがゆえに)解決が難しいのだ。

さっきのnoteでは、モテたいと思う人に「まずは風呂に入り服を新調しよう!(以下略)」と言い「口説け」と言わないことに対しての怒りが表明されているが、この怒りに私は筆者が感じているのとは違う意味で同感である。そもスタートが相手の課題に対して「風呂に入り服を新調しよう」はズレまくっている。風呂に入り服を新調するのは人間にとって悪いことではないと言えなくもないが、「モテたい(好かれたい)」という課題に対する解決に一切なっていない。

ここで厄介なのが何度も繰り返すが「モテたい」は他人の課題なので、妥当な解決策がないということ。この「モテたい」を違う方面の表現にして「〇〇さんに好かれたい」と言い換えたとして同じことである。究極的には「〇〇さんが自分を好きになるかどうか」は〇〇さんの課題であるわけなので、風呂に入ろうが入るまいが口説こうが口説くまいが答えは〇〇さんのコントロール下にある。もしかしたら風呂に入ったり口説いたほうが可能性は高まるかもしれないし、相手のことを知らないより知っているほうがより可能性は高まるかもしれないが、そんなのより相手がどういう状況にあるか(恋人がいるか、恋愛モードか、好みのタイプか)のほうが大きい。

 

この「課題の分離」の話をしたあとに、アドラー心理学では「自分がどうなりたいか」みたいな自分軸の話をし始めるのだが、この辺は私的には堂々巡りで、「いや、愛されたい人は愛される自分になりたいんだろ」「愛されたいというのは他人の課題で…」「キィーッ」みたいな感じになる。

今まだ読み途中の『恋愛結婚の終焉』は、結婚と恋愛を分離しようという提言の本で、めちゃくちゃ勉強になりながら読んでいるのだが、私の中で「どうしても恋愛して結婚したいという人の願いはこの提言では解決しないじゃん!!!」とささやく声がする(まだ読み終えてないのでこの先そういう話になるのかもしれない)。

 

解決不可能な悩み(=他人の課題)が自分の中心にある場合、その中から自分の課題にできるものを少しずつ切り分けていくことならできるかもしれない。「風呂に入る」はあまりにも迂遠すぎるが自分でコントロールができる。「口説く」は人とのコミュニケーションになり、つまり自分でコントロールできないので傷つく可能性は大いにあるが、恋愛というコミュニケーションを目指しているならいつかは通らねばならない道かもしれない……。

一方で「モテないこと(愛されないこと)」に対してずっと悩んでいる人は、自分でコントロールできないことにずっと悩んでいるわけで、いわゆる自己肯定感が損なわれていがちだ。そういうときは、ちょっとした相手からのダメージが非常に大きくなる(ところが人間関係はそういう不慮のダメージが発生する、なぜなら他人はコントロールできないから)。人間関係で被りうるダメージに耐えるためにも、自分でコントロールできることをひとつずつ積み重ねていって成功体験をいくつか積み、耐えられるだけの自己肯定感があったほうがいいのではという思いもある。

そうだな、さっきのエントリで「口説け」に対して「そうだそうだ!」と思えないのは、口説いた結果あるかもしれない傷つきにこの悩みを持っている人は耐えられるのだろうか(いや、耐えられないだろ)と思っているからなのかもしれない。

 

「風呂に入れ」「新しい服を買え」というのは一切本質的な問題解決ではないが、自分でコントロールできるという意味では悪くない。まあでも迂遠だよな(この話一生ぐるぐるまわるな)

あといまさらだけどさっきのnoteだと「モテたい(愛されたい)」がナチュラルに「セックスしたい」に言い換えられていることにようやく気づく。「愛されたい」の話は男女そんなにかわらないが、セックスに関してはあらがいがたく男女差があるよな〜(子どもができる可能性がある行為なわけだから。。。)だからより男性の場合自分でコントロールできない。解決が難しい悩みをずっと持ち続けているのはつらい。

 

(以下、連想で思い出した話)

欅坂46の「ガラスを割れ!」という曲の中に「傷つかなくちゃ本物じゃないよ」という歌詞がある。欅坂の活動の中でどんどん傷ついている真っ最中のメンバーに渡す曲として考えうる限り最悪の歌詞(お前はいま傷ついている、だから本物だ、耐えろ、というメッセージ)。そういった文脈からも「傷つかなくちゃ本物じゃないよ、じゃあないんだよ」と言いたくなるが、でも目の前のガラス、想像のガラスを割らなきゃいけないときもある。私は人の傷つきが見たくないので恐れてしまうが、傷つかなくちゃ本物じゃないよな瞬間もあるのかもしれない……。

欅坂46 ガラスを割れ! 歌詞 - 歌ネット