アオヤギさんたら読まずに食べた

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イマジナリー実家概念

今年の8月、実家がなくなった。東京多摩地区のほうにある家族3人が過ごしていたマンション。けれどここ5年ほどは私も姉も外に出てしまっていて、母が1人で住んでいた。そしてその母も定年退職に伴うネクストステージとして1年~数年間海外に行くことになり、誰も住まなくなってしまうため売却へ。

コロナの影響で内見ができない期間があって、大丈夫なんだろうか…とドキドキしたり、定年退職を送別会の形で盛大に祝ってもらえず海外での仕事も音沙汰がなくなった母がダウナーになったりでハラハラしたが、無事購入者が見つかり、契約も済み、私の実家はなくなった。

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最後の日のマイルーム

でも場としての実家がなくなっても、感慨深くはあったが寂しくはなくて、まあこちらの生活をよくしていきたいニャンね…くらいの気持ちではあったのだが、9月末に母が海外に発ち、それはそれはもう寂しくなってしまった。

私は薄情なマザコンなので、母は大好きだがずっと一緒にはいたくなく、でも会ってるときはいい娘だと思われていたいし、できるだけ母は友達とか趣味とかでひとりで楽しくやっていてほしいという思いがある。でも母のことは大好きで一緒にいるときはずっとくっついていたい……。

(こうやって明記するとなんと都合のいい欲望なのか。姉の母への感情はもう少し責任感があって、母への愛情と同時にもどかしさや「お姉ちゃんである私がちゃんとしないと」という責任感を抱いているようだ。ちなみに私はシスコンでもあり、お姉ちゃんにはそこそこ頼りにされたいが一方で無限に甘えていたいという甘ったれ妹として生きている。姉の息子である甥にがぜん張り合える。うざい妹になるから張り合わないけど……)

私にとっての実家というのは、あのマンションではなく、母がいる場所ということで、つまりここ数年の私の実家は海外の向こうにあるということになる。とてもさみしい。昨日はふとんの中でシクシク泣いていたら寝落ちした。泣きながら寝落ちすると一晩の睡眠を無駄にした感じがしてくるのでしないほうがいいです。