アオヤギさんたら読まずに食べた

暮らし、エンタメ、金、自己啓発、ときどき旅

ビジュー事件

「着たい服」のことはよくわからないが、「着ちゃアカン服」というのは知っている。ビジュー(要はビーズ)がついた服だ。

※これはビジューの服を否定しているわけでも、ビジューの服を着ている人を否定しているわけでもなく、単に私とビジューの取り合わせについての話です

 

もう何年前かわからないのだが、たぶん5年くらい前だったような気がする。20代なかばから20代後半くらいの今よりうら若きアオヤギミホコは飲み会に向かっていた。最近知り合って仲良くなった女性A、その女性の同僚にして仕事でお世話になった女性B、仕事でお世話になったかつ女性Aのパートナーの男性、あわせて4人の飲み会。たのしそう。楽しみにしていた。

そして到着した瞬間草を生やされた。

「ビジューwwwwwwwwwwwww」

「ビジューついてますねwwww」

「ビジューだwwwww」

その日アオヤギミホコはビジューのついた服を着ていたのである。そのトップスの値段はだいたい3000円ちょい。布もビジューもまあ値段くらいの質感。到着そうそう3人からビジューを指摘された。みんな爆笑しており、アオヤギミホコもひ〜ひ〜笑った。

アオヤギミホコは家に帰ったあとそのトップスを捨て、その後二度とビジューのついた服を着ることはなかった……。これは後に「ビジュー事件」と言われている。

(引用:アオヤ記)

 

こういうふうに書くと「イジメじゃん」と思われそうだし、言葉だけ見るとどう考えてもイジリなのだが、今思い出しても鮮明なほどあの草の生やしぶりはさわやかだった。みんなキラキラした笑顔だった。このニュアンスは映像でしか出せなくてくやしい。

私には「許せない録」というのが脳内にあるんだけど(自分がやらかしたことも、人にやられたことも書いてある罪の記録)、ビジュー事件はどちらかというと「名言」にカウントされている。

 

これに近い言葉の例を思い出す。中高時代から一緒の友人たちに「私に似合うボトムス(ズボン)を選んでくれないか?」と相談し、友人たちは快諾してくれた。新宿の服屋をぐるぐる周り、ズボンを手に取った友人がこう叫んだ。「こういう質感とデザインの…スカートがいいね!」

それはスカートじゃろ〜!とにこやかになった。友人も照れくさそうに笑っていた。あの瞬間の「ズボンじゃないんか〜い」感、あの瞬間のトホホ〜ズボンはこりごりだよ〜感を文字で表しきれないのがくやしい。