「少女革命ウテナ」桐生冬芽は世界を革命できなかった
「少女革命ウテナ」が本当に好きだ。ウテナは消えてしまったけれど、アンシーという一人の少女の内面を「革命」し、そしてアンシーは「箱庭」たる鳳学園から足を踏み出し、歩き始める。
彼女達を利用していた(つもり)の「大人」である鳳暁生は、何もわからないまま鳳学園に置いていかれる。小杉十郎太の「良い男」以外の何物でもない声が、逆転して愚かに聞こえる。
しかしその美しすぎるラストシーンは、ほんの少しの苦さを残す。ウテナと決闘をした生徒会のメンバー。彼らがウテナを覚えているかどうかは明らかにされない。彼らの内面や人間関係には他人から見れば小さいけれど大きな変化が起こっているが、彼らはまだ鳳学園の中にいる。
鳳学園は「卵の殻の中」。鳳学園の中にいる彼らは、アンシーのように出ていくかもしれないし、暁生のように鳳学園から出ずに大人になってしまうかもしれない。まだ彼らは定まっていない。
- アーティスト: TVサントラ,杉並児童合唱団,奥井雅美,裕未瑠華,上谷麻紀,光宗信吉,幾原邦彦,カラオケ
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 1997/07/24
- メディア: CD
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七実と樹璃は遠くないいつか出ていくだろう。幹は梢がいる限り、西園寺は冬芽がいる限り、出ていかない気がする。そこで気になるのは、冬芽である。
冬芽は世界の果てになろうとした青年だ。生徒会メンバーを手のひらで踊らせているように見えて、その実、自身も踊り子であった。彼は幼いウテナを棺の中から救うことができず、冬芽の代わりに彼女を救った王子様――ディオスに憧憬の念を抱く。
しかし箱庭の中で王子様になろうとすることはいばらの道だ。日替わりで違う「お姫様」を胸に抱き、携帯電話はひっきりなしに違う番号からかかってくる。そして冬芽は、ディオスがそうだったように、摩耗していった。(台詞はウェブ上のファンページ「少女革命ウテナ全台詞」から引用しています)
冬芽:あの人はかつて、あの子を救った。
西園寺:そうだったな。
冬芽:俺もあの人のようになりたいんだ。あの人のような、力が欲しい。
西園寺:それはどうかな。
冬芽:何?
西園寺:確かに理事長はあの時、あの子を救ったかも知れない。だがあの子は、今も柩の中にいる。いや、彼女だけじゃない。俺たちも柩の中にいるんだ。
冬芽にとってウテナはかつての挫折を思い起こさせる存在であると同時に、好きになってしまった少女でもある。
決闘を目の当たりにすることで、冬芽はウテナに対する恋心を自覚する。
冬芽:俺は、君の王子様にはなれないだろうか?俺の王女は君しかいない。
ウテナ:またそんな...
冬芽:本当だよ。俺は、君が好きだ。心から、君を愛しいと思っている。君の気高さ、美しさに引かれる者は多いだろう。もし俺が君にふさわしくないとしても、どうかこの一瞬だけは、俺と一緒にいてほしい。それだけでいいんだ。....この夜、こうして君と二人でいた時の思い出が、俺の中に刻み込めれば、それでいい。ただそれだけを俺に許してくれないか。
ウテナ:わかった....
冬芽:ありがとう。
ウテナは冬芽の想いを受け止め、悩む。冬芽はウテナを「世界の果て」から解放するために戦うことを決めた。
冬芽:もう一度言おう。俺と決闘して欲しい。
ウテナ:何を考えてるんだ、あんたは?
冬芽:君は、薔薇の花嫁を守り抜くのではなかったのか?
ウテナ:ああ。姫宮には誰にも手出しはさせない。
冬芽:約束しよう。この決闘で君が勝てば、生徒会の者はもう決して薔薇の花嫁を狙いはしない。しかし、もし俺が勝ったら、君は俺の女になれ!
ウテナ:見損なったよ!あんたが、そんな言い方するなんて。
冬芽がこのような露悪的な言い方をしているのは、ウテナに決闘を承知させるためだ。しかしこのような言い方をした時点で、彼の恋は終わりを迎えた(もちろん、それは決意の上だろうけども)。
冬芽はウテナとの決闘に敗れ、ウテナは「世界を革命する者」となった。
何度見ても思う。ここで冬芽が、「君とともに戦いたい」と言ったら、ウテナはどう答えたんだろうか。
冬芽は己の恋を自覚することはできたが、「王子様」幻想から逃げ切ることができなかった。恋する冬芽はウテナを「お姫様」と読み間違え、「守ろう」とする。でもウテナはお姫様ではないし、守ってほしいわけでもない。
王子様になるということは、自分を「王子様」という枠に入れるのと同時に、好きな相手のことを「守られるべきお姫様」という枠の中に入れてしまうことでもある。暁生は真っ先にウテナを「俺のお姫様」と称したし、冬芽も結局のところ、「君の王子様にしてくれ」という愛の告白しかできなかった。
彼が「王子様でありたい(そして愛する人をお姫様にしたい)」という願望から抜け出せない限り、彼は鳳学園から出ていくことはできないんじゃないだろうか。
しかし考えてみれば幾原作品は、女の子はがっつり描かれるが、男の子は意外とあまり描かれない。『輪るピングドラム』は個人的にはビターエンド(高倉兄弟は大事なものを「守る」ために消えてしまった)だと思うし、『ユリ熊嵐』はそもそも男の存在がなくなってしまった。
娯楽作品として、カッコイイ男の子のカッコイイところを描きたいという気持ちはわからなくもない。でもなんというか、「男らしさ」みたいなところから、「王子様であること」から革命される男性の物語を、そろそろ見たいんですよ。わがままかな~。
ちなみに現在放送中の「プリンセスプリキュア」は、「王子様」を登場させ、王子様の「大事なあの人を守りたい」という想いが逆にプリンセス=はるかを傷つけるところまで描き、しかもそこからプリンセスが自力で立ち上がり、王子様が己の考えを変えるところまでしっかり描いています。
王子様・お姫様問題(勝手に「問題」をつけるべきではないが…)は9割がた「プリンセスプリキュア」で解決を迎えたのではないか。いやはやいいアニメです。