「ナンパされた私が悪い」という抑圧
ナンパをされると、そのレポートをfacebookで書いている。多くは帰宅途中の新宿駅(仕事や通学でよく使う)。
遭遇するナンパは不思議な人が多い。最近いちばん印象に残っているのは、「ナンパなんですけど、スタバに行きませんか?」というオープナーを使用し、断られたあとにTwitterを検索、「こんなナンパされちゃったよ」というツイートを見つけ出してリツイートするというナンパ師だ。インターネット露出狂的な趣があり、いろいろな意味で震えてしまった。
さて、そんな書き込みをするfacebookには、大学の先輩といったリアルで付き合いの深い人も多い。この間、facebookの書き込みについての会話になった。
「青柳さん、またナンパされたんだね。なんでナンパされるの? ナンパされる自分を反省したほうがいいんじゃない?」
ものすごくびっくりした。「もしかして、私がナンパされる自慢をしているように見えていますか?」と聞いた。
「それは思ってないよ。でもさ、なにか理由があるんじゃないの?」
そう言った先輩はすごくいい人で、面白くて、恋人もいて、私の500倍くらい勉強している、尊敬できる人なので、よけい悲しくなってしまった。
以前、女の子の後輩とナンパの話になったことがある。
「ナンパされると、すごく反省します。『イケる』って思われる隙があったんだなって」
彼女の言っていることはすごくよくわかる。
世の中にはナンパ師のノウハウみたいなものがあふれていて、ナンパ師がどういう基準で声をかけているのかもうっすらとわかる。よく言われているのは「靴が汚い女はイケる」「カバンの大きな/荷物が多い女はイケる」。私がよく声をかけられる場所は「OLっぽい地味な女に声をかけやすい場所」とされていることが多い。
だから声をかけられると、やっぱり一瞬考えてしまう。
カバンが大きいから、フラフラ歩いているから、終電に近い時間にいるから、あか抜けない顔をしているから、声をかけても怒らなそうな無害な顔をしているから、ほぼすっぴんで歩いているから、隙があるから、こんな目に遭うのか?
考えるけど、でも、本当はこんなことは、あまり考えるべきではない、と思う。
ナンパ師のTwitterやブログを見ると、1人が1時間に10人声掛けをしていたりする。ナンパをされる理由は、人が多く、結果としてナンパ師も多いところにいる、ただそれだけだ(ナンパをされないためには人が少ないところにいればいい、というのは、まったくもってナンセンスな話)。
すごく深い基準で声をかけるナンパ師も中にはいるだろうが、だいたいは目についた人に適当に声をかけているのだろう。
ティッシュ配りのバイトみたいなものだ。ティッシュを渡されて「私に隙があったからだ」と思う人はいない。
ナンパされたときの私は、もしかしたら隙があったかもしれない。でもそれは単にそれだけのことで、責められることでもないし、「私が悪い」と己を責めるものでもないのだ。