「少女革命ウテナ」姫宮アンシーはなぜモテるのか
中学の時にSくんという男の子が好きだった。Sくんは口癖が「おろ?」のイタいオタク少年だったが、オタク少年にしては顔が悪くなく、女の子にちやほやされるのが好きだった。あまりイケてないオタク女や、あまりイケてない地味な真面目女は、明るく楽しく話してくれて、ときどきちょっと「この人、私のこと好きなんじゃないの?」という空気を出してくれる彼のことをすぐ好きになってしまった。私もその1人だった。
ただ、彼はそうやってよろめかせた女たちに答えを出すことはなかった。明らかに「好き」というのは伝わっているけれど、どっちつかずの態度を出し続けた。今思うと、彼はイケてない女の子にはちやほやされたいだけで、お付きあいする気にはなれなかったのだろう。だってイケてないからね。
5人~10人くらいのイケてないガールを常にキープする生活を中学の時から送っていた彼は、高校、大学にいってもその習慣を変えることができなかった。当たり前の話だが成長していくとともに「お付き合い」はより生々しくグロテスクな意味合いを含んでいくので、彼の振る舞いは傍から見ていてめっちゃつらいものになっていた。
(ちなみに今は彼はキープを全員整理して本命に告白したら「キープしてたでしょ」と見透かされてフラれ、「孤独は罰なんだ……」となっているらしい。いい話)
この話を友人Kさんにしたら、「彼はサイコパス男だと思うけど、たぶん女の子たちにも問題はあるよね」とたいへんまっとうなコメントをもらった。そう、女の子をラノベ主人公のような耳が遠い力でキープし続ける男も男だが、キープされる女も女なのだ。
だいたい、そういうよくわからない男に引っかかる女の子というのは、「イケてる男の子と恋愛みたいなものをしてみたい、でも自分はイケてない女の子だからイケてる男の子はムリ、だからイケてるとイケてないの中間のあの人だったら……」みたいな計算をして地獄にはまっていく。Sくんがモテたのは、彼女たちが一番強く持っている「それなりの男の子と恋愛をしたい」という欲望をうまく満たしてくれていたからだ。「欲しいものを与えてくれる」人はモテる。
ただ難しいのは、ほとんどの人が自分の欲望をきちんと自覚しておらず、「好き」というふんわりした言葉でくるんでしまっていること。
姫宮アンシーの話をする。「少女革命ウテナ」に登場する姫宮アンシーは、やたらと作中で異性にモテる。そしてそれを同性に咎められ、ビンタされまくる。
彼女がモテるのは、もちろん容姿もあるだろうし、どことなく漂う「やらせてくれそう」オーラもある(思春期の男女はそういうオーラに敏感である)。ただ彼女がモテる一番の理由は、「自分の欲しいものを与えてくれそう」なオーラがあるからだ。彼女は「薔薇の花嫁」で、内面は冷め切っていようがなんだろうが、相手が求めるように振る舞ってくれる。
デュエリストの1人西園寺莢一は、姫宮アンシーに「従順な恋人」を求める。アンシーはそれに丁寧に応える(なぜなら西園寺は現時点での決闘の勝利者であり、彼にはそれを求める権利がある)。しかし西園寺は姫宮との関係でまったく満たされているようには見えない。
それは、彼が本当に求めているものが、うしなってしまった「桐生冬芽との友情」だからだ。幼いウテナとの出会いにより「大人になりたい」と変わった冬芽に追いつくための、いわばトロフィーとして「恋人」という存在を求めているだけ。でも、アンシーに恋人の役割を果たさせても、冬芽との友情が戻ってくるわけではないし、アンシーは冬芽にはなれない。だからこそ西園寺は苛立っている。
薫幹も同じだ。彼はアンシーを「昔の妹に似ている」と好感を抱く。幼少期のある出来事をきっかけに、仲睦まじかった妹との関係は変わってしまい、幹はそれに強いわだかまりを持っている。うしなわれた「妹との時間」をやり直すために、幹はアンシーを求める。しかし実際は幹の妹(梢)とアンシーは似ておらず、またアンシーも(幹は決闘の勝利者ではないので)欲しいものを与えようとはしない。それゆえ、幹の想いも破綻する。
「少女革命ウテナ」というアニメで描かれる決闘というのは、見れば見るほど、ウテナとアンシーにはなんら関係のない人間関係の情念を、ウテナとアンシーを鏡のようにしてデュエリストが自覚させられる構造になっている(ちなみに、アンシーは鏡のような人間だが、ウテナも内面のある種の欠落から鏡のように見える)。最初はアンシーに執着していた西園寺も幹も、決闘を通じて「本当に欲しいもの」に向き合った結果、アンシーへの執着を薄くしていく。それは、アンシーが彼らにとって「欲しいものを与えてくれそうな人」ではなくなっていくからだ。
2クール目にあたる「黒薔薇編」で、黒薔薇のデュエリストたちがアンシーに対して「死」を願うのは、彼/彼女たちのほうが自分の欲しいものにまだ自覚的だからだろう。生徒会のメンバーは決闘のトロフィーたるアンシーを得ることで自分の望みがかなうと思っている(バカだから)。黒薔薇のデュエリストは違う。自分たちの欲しいものがはっきりわかっていて、それが壊れてしまったのもわかっていて、ある意味自分の想いを殺すため、自分を変えるための手段として決闘をしているように見える(ただ、この辺、高槻枝織だけはちょっと違うように見えるのですが)。
アンシーがモテるのは、欲しいものを与えてくれそうな人だから。でも、その欲しいものは本当はアンシーそのものではなく、生徒会のメンバーは誰一人(アンシーを手に入れても)幸福にはなれない。ただひとり、誰かの代替ではなくアンシーを「友達」として求めたウテナだけが幸福になれる。