アオヤギさんたら読まずに食べた

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結婚1年目の振り返りと暮らしの学び

2020年2月29日に結婚をし、約1年間の結婚生活を過ごしました。喧嘩をしたり深刻よりの話し合いをしたりなど衝突がなかったわけではないのですが、だいたい楽しい日々だったので、のろけもかねてメモをしていこうと思います。

 

前提条件

・同い年、共働き

・夫は限界労働中

・子どもやペットなどはいない(予定も今のところない)

・家は都内1LDK

 

結婚してよかったなと思ったこと

この人と人生のパートナーになるのか? ならないのか? という悩みがなくなった

我々は事実婚ですが、結婚前(恋人として同棲していたころ)は、「この人は自分の人生のパートナーになるのだろうか。ならないんだったら30も近いし他のパートナーを探すことを考えたほうがいいのだろうか」ということを私はいろいろ悩んでいました。「結婚したい~~」と長いこと言っていたんですが相手が「ウ~ン、ムニャムニャ…」状態だったのもあり。ただ結婚という状態になったことで、この悩みが解決し、相手へのモヤモヤも8割くらい減になりました。

 

夫に「結婚してよかったポイントは?」と聞いたら

「毎日が楽しい!」と返ってきました(のろけ)。でもこれは私も思う。毎日楽しいです(のろけ)。

 

お金のことや人生のことを見栄なしに話せるようになった

2年半前は貯金がなくてマジで怒られたりとかしていたのですが、結婚してからは「毎月の収入がこれくらいで、支出がこれくらいで…」みたいな話が気軽にできるようになり(共同貯金とかはしてないですが、なんかふたりの全体感みたいなものを意識するようになったため)、結果として貯金が増えた。相手のお金の使い方にも率直にコメントできるようになりました。

あとは人生に悩んだり自分に自信がなくなったり相手にコンプレックスを抱いたときに、「人生に悩んでいて自分に自信がないしあなたに嫉妬している…」と素直に話せるようになりました。こういう弱いところを言いまくると恋人として魅力がなくなってしまうかも…みたいな考えが自分の中にあったのかも。

 

やってよかったこと

ほぼ毎朝ごはんを一緒に食べること(飲みものだけのときもある)

ここで15分とか30分とか毎日喋ってます。夜はだいたい相手が遅いんですがたまに一緒に録画したドキュメンタリーなどを見ています。

 

相手に伝える&任せるようにしたこと

夫はやや注意欠陥の傾向があり、目の前にあるものを「ない!」と言ったりして、某京極先生のミステリかよ…となってます。特に暮らしへの解像度は低く、「床に服を脱ぎ散らかさないでほしい」と言ってもずっとヘンゼルとグレーテルしてます。

ただこれは本当に注意してないとやってしまうことで、悪気があるわけではないので、それに怒ったりイライラしたりは(まあたまにしちゃうんですけど)しないようにして、「床に落ちてるので拾ってください」というふうに伝えています。あと体調が悪いとき(生理中など)に「お茶いれてほしいな~」とか言われると、「いま月でいちばん調子が悪い日なのにいたわってくれないのですか?」などと伝えると、「はっ、体調が悪かったんだった…」という感じで(やや過剰なくらいに)労わるようになります。

あと導線の改善とか部屋のコーナーの片づけとかをしても気づかないので、「クイズ! 私がやった天才なことはなんでしょう!」「はっ…○○がきれいになっている! えらい!! 天才!!!」みたいなことをやっています。

家事はある程度向こうにも任せたいと思っていたのですが、限界労働が極まるにつれて「向こうに家事を任せていると生活がスタックする」というくらい悪化してきたので、現在は8割くらい私が担当しています。相手にはベランダ&室内の植物の水やり(100%)、あと室内の加湿器の水入れ(90%)、ゴミ出し(30%)を担当してもらっています。限界労働が続くとベランダの植物はマジで枯れるのですが、私はもう手出しをしないことにしました。ベランダの荒れ方で自分の生活の荒れレベルがモニタリングできるようです。ベランダではミント、室内ではサボテンが死を迎えました。

 

導入してよかったもの

食洗機

もう何回目じゃ~いってくらいこの話をしていますが、食洗機は導入して本当に良かったです! 我が家はそこまで自炊をしないのですが、朝にコーヒーを飲む+在宅勤務で自炊機会が増えたので、1日に1~2回は食洗機をまわしています。

食洗機はPanasonicのプチ食洗で、購入+設置は夫がやってくれました。家では基本的に私が食洗機をまわしていて、洗剤などの消耗品購入や機内掃除などのメンテナンスも私がやっています。でかめの初期コストを向こうが負っていることで、毎日回しつつも相手に感謝ができている気がします。

 

 

ツインバードのコーヒーメーカー

夫はコーヒーが好きで、ほぼ毎朝コーヒーを飲んでいます。ツインバードのコーヒーメーカー(これも夫が購入、フィルターなどの消耗品は私が管理、コーヒー豆は夫8割私2割くらいで管理)がとてもよかったです。

2020年途中でデジタルスケールも購入し、豆の重さを測れるようになったのでさらに活躍するようになりました。時々ミル機能だけ使ってドリップで夫がいれています。ちなみにデジタルスケールはスパイスカレー作りのさいにも活躍していて買ってよかった~!と思いました。

 

 

ソーダストリーム

夏に大活躍した。カルディの濃縮リキッドティーとかと割ったり、人が来たときは酒を割ったり。冬は気分転換にもなります。

 

 

現在検討中のもの

家事のルーティーン設定

これまで我が家は大人ふたりぐらしかつ、どっちもあんまりきれい好きではなかったため、片づけや清掃は「気が向いたとき」「来客など必要に応じたとき」にガ~っとやるスタイルでした。

しかし私がここ1カ月で片づけ掃除関連本を20冊くらい一気に読んだ結果、突然片づけ掃除への解像度が爆上がりし、「もしかして……こまめに片づけと掃除をしたほうが結果的に暮らしが楽……?」という車輪の再発明をしました。いやこれまで「毎日きれいにすると楽ですよ!」みたいなのは死ぬほど見てきたけど、うるせ~そんなのできるか~いと思っていたので……。

 

 ↑突然の発見

 

片づけの基本

片づけの基本

 

 ↑これがけっこう参考になった

 

自炊を頻繁にしないし大人二人なので、毎日掃除というのはちょっと頑張りすぎかなという感じがして、ただ「○日おき」みたいなのだと「前回何日前にやったっけ?」というのがわからなくなってしまうので、「3の倍数の日に洗濯機まわしとトイレとお風呂とシンク掃除をする」というルールを考えてみました。

2月はそのルールを試しでやっていたんですが、3の倍数でやるとだいたい全部あわせて10~15分前後、きれいな状態が3日続くので、まあこれはいい感じかな、と思っています。

布団や枕のシーツ類は正直これまでほぼ万年床で、なんかマジで気が向いたときに洗うという感じだったんですが(きれい好きの方は悲鳴をあげるかも、すみません…)、このルール上で月最終日に洗うということにしました。でもこれは平日だともしかしたら余裕ないかもだから月最後の日曜とかそういう設定にするかも…。なお洗濯機は夫が一人暮らし時代から買っていたドラム式洗濯乾燥機で、基本的に外干しは一切していません。

2年前に買ってたのに全然使ってなかった(2か月に1回くらいの起動だった)ルンバも、基本3の倍数に起動させつつ(3の倍数でダストボックスの中身も捨てる)、他の日も思い出したら起動するという感じで運用してみています。

 ↑2019年のルンバとの付き合い方

 

2月は↑のテスト運用をしていて、12月より前に比べてきれいな状態が続いています。しかしきれいな状態が続くと人間は薄情なもので、「きれいな状態に保たれていること」に気付かないんですね。

 

 

 早くもパートナーの「きれいな状態に気づかない」が発動しているので、やや「やってるのにな~~~」という不満が発生しています。

この気持ちの不満の対処法として、ゴチャゴチャしていたころの部屋の写真を撮っておき、定期的に見せて「えっ!?めっちゃきれいじゃない!?」と相手に思い出させるということをやっています。いまのところはそれで気持ちが満たされています。

もし今後スキルがどんどん上がって、かつ相手の限界労働がさらに極まって家にリソースをより割けなくなってきたら、普通に金を要求してもいいかな?という気もしています(今のスキルだとちょっとまだ金銭を要求するには足りない感じがする…)。

 

やりたいこと

我が家には本がたくさん(3000冊くらい?)あるのですが、夫と勉強とか読書会とかしたいなという欲望が生まれてきています。でも限界労働すぎててちょっと今すぐには無理そう…。5年めどくらいの目標で。

 

お題「#この1年の変化

 

「花束みたいな恋をした」の生活とお金

映画「花束みたいな恋をした」、早くも今年一番だ…と断言したくなるような映画でした。一組の文化系カップルの5年間を切り取ったストーリーで、人が恋に落ちる瞬間と、分身のような相手を愛おしむ気持ち、そして少しずつ変わっていく相手に向ける複雑な感情――と、これ以上ないほど「恋愛」を描いた作品でした。

(以降わりとネタバレをするので未読の方はぜひ見てね。傑作なので…)

 

麦が背負っていったもの

本作の一番つらいところは、「夢は絹(有村架純)との現状維持です」と宣言していた麦(菅田将暉)が、イラストレーターとしての挫折を経てECロジスティクスの会社に就職し、だんだんと変化していってしまうところでしょう。圧迫面接を受けて泣いていた絹にかつて「その人(圧迫面接してきた面接官)は今村夏子の『ピクニック』を読んでも何も感じないよ」と憤慨していた麦は、いつのまにかNewsPicksBooksの『人生の勝算』を本屋で手に取り、積読を読む気がせずパズドラしかやる気持ちになれない疲弊した社会人に変わり、「俺ももう感じないのかもしれない」と吐露します。

麦の生活は仕事に侵襲され、彼のやさしさや繊細さも仕事によって変化してきており、絹は違和感を覚えています。彼はなぜ変わってしまったのでしょうか。

ふたりの暮らしを考えていきたいところです。麦と絹が住んでいるマンションは京王線調布駅から徒歩30分。多摩川に臨む広めのワンルーム(バス・トイレ別、40平米くらい?)で、途中で猫を飼えているところからしておそらく築年数は古めです(もしかしたら築40年くらいかもしれません)。実際のロケ地の最寄り駅は矢野口駅ということですが、ふたりがフリーター状態でも払えるくらいで、かつ長岡の父親の仕送り5万円カットがおおきく響くというところからして、おそらく家賃は8~9万円あたりじゃないかと思います(10万円は超えなさそう)。

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たまに感想を見ていると「麦はブラック労働により搾取・疲弊していって」という向きのものがあるのですが、麦の会社はややブラック寄りではありますが社内の雰囲気はそこまで悪そうではなく、ある程度年配の人も働いている(極端に若い人だけいるわけではない)、麦の下でも採用をしているという感じで、「残業なし」の看板は偽りしかないがちょっと忙しめの中小企業として描かれているように見えました。物流・営業ということで、給料は額面で25万円くらいからスタート(手取りは20万円前後)して、3年目で額面30万くらいになっているかなという感じでしょうか。

一方絹はクリニックの医療事務として働き始めています。都内だとだいたい20~25万くらい。そこからイベント会社に転職。「給料は下がるけど」と言っているし派遣ということもあり、額面18~22万(手取りは15万円前後)くらいかなと。

お互い都内ひとりぐらしでこの給料はキツめですが、ふたりぐらしなのでイニシャルコストはかなり抑えられます。一般的に住居費というのは収入の3割未満に抑えるといいと言われているのですが、家賃を9万と仮定すると麦・絹カップルの手取りは30万円以上あればそこそこ健全ということになります。ふたりの世帯月収は足しておそらく40万円を超えているので、わりと余裕があり、お互いに貯金もできそうな財布の状況です。実際、学生時代は「お金がないから文庫しか買えない」と言っていた絹は、社会人になってから単行本を新刊で躊躇なく買っているし、観劇なども積極的にいっているようなので、暮らしはカツカツではありません。若者が全体的に貧しくなっていることを坂元作品はていねいに拾い上げてはいて、「花束」でも全体に通底している空気ではあるものの、麦と絹は作中で富裕層ではないですがけして貧困カップルでもないのです。

実は「暮らしのために稼ぐ」――ふたりの生活を「現状維持」することだけを考えると、麦はそんなにシャカリキになって働く必要はありません。絹が収入は下がるけど転職を決断できたのも(いざとなれば実家があるだろうという思考は絶対にあったとは思いますが)、ふたりの生活がカツカツではないからでしょう。

麦は仕事が増えるたび、過剰に生活を背負っていきます。絹が望んでいるわけでもないのに「頑張って稼ぐから(絹は)家にいなよ」と、養うようなことを言ってしまう。労働でつらいことがあっても「生活のため」と言い切っています。ただ繰り返しますが、ふたりの暮らしは少なくとも現時点では(現状維持が目的であるなら)そんなに頑張らなくても、麦が一心に背負わなくても成立しているのです。

終盤、麦は結婚のビジョンを口にします。1~2人ほど子供を作って、ワンボックスカーを買って…という未来予想図です。この未来を実現するには、確かに麦と絹の収入では足りません。一般的に子どもの教育費用は大学まで出して1人あたり1000万円といわれています。18歳までにそれを用意するとして年に60万ほど貯めていくような計算なので、そうするとふたりは月にプラス5万は稼ぐ必要があるでしょう。1000万に子どもの生活費は含まれていないので、実際は月にプラス7~10万ほどあるといいかもしれませんね。

…というふうに、麦の未来予想図に照らすと、確かに今の麦・絹カップルの収入は頼りないものです。ただこの未来のビジョンは「現状維持」ではとてもないですし、麦と絹は同じビジョンを共有していません。ふたりの関係が決定的に破綻してから共有される光景です。とはいっても麦がこういった試算を現実的にしていたとは考えづらく、おそらく「もっと稼がないといけない気がする」というふんわりした気持ちと焦りで“責任”を負っていったように思います。

 

本当に「生活のため」“だけ”だったのか?

未来を勝手に背負ったことによって今が終わってしまうのは非常に示唆的ではありますが、同時に麦が仕事にのめりこんでいったのは、「絹との生活のため」と同時に、「自分のため」でもあったように思います。

『格差は心を壊す 比較という呪縛』を読んでいて、あっ麦くんやないか…!となった一節がありました。

現在、多くの巨大多国籍企業のCEOには、同じ企業で働く正規雇用者の最低賃金の実に300~400倍もの報酬が支払われている。社会的地位が賃金の多寡で決まる社会において、無価値な人間であることを知らせる効果的な方法は、同一企業で働く特定人物の0.25%の給料しか支払わないことだ。

この話はさらに相対的な貧しさというのはその人物の自尊心を損なわせるというところにつながっていくのですが、これはまさに「3カットで1000円しか払ってもらえなかった」麦ではないでしょうか。

麦もいくらなんでも3カット1000円が搾取だというのはわかっています。相場の金額感もあったでしょう。それよりずっと低い価格しか支払われないというのは、麦の自尊心を削っていきます。また3カット1000円に抗議したときに、「いらすとやでいいです」と言われたのもより自尊心を削られる言葉だったでしょう。

フリーのイラストレーターとしての活動は、麦の自尊心をボコボコにしていきました。それに対し、就職した先での仕事というのは、「やる気を見せると仕事を任される(おそらく給料もちょっとだけ上がる)」というふうに(相対的に)できており、やれば相場の金とそれなりの評価がもらえることそれ自体が、麦の自尊心を回復してくれたのではないでしょうか。

絹と別れ、半年ほどの時間を経て偶然再会するときの麦は、一番のめりこんでいたときよりもいくぶん余裕があるように見えます。同じ会社で落ち着いたのかもしれないし、もしかしたら転職をしてるかも。それはイラストレーター仕事で削られまくった自尊心が回復してきて、仕事への依存状態が改善されてきたということなのかなと感じました。ひとりぐらしになった麦くんの部屋の様子も荒れてなかったですし。

社会が彼をすり減らせたのはそうなのですが、同時に癒やしたものもある、だからこそ麦は仕事の侵襲を受け入れたところがある。これは麦に限ったことだけではなく、仕事というものがもっている強いパワーで、だからこそ人は妙に働きすぎてしまったり、仕事での役割を自分のアイデンティティにしすぎてしまったりするのだなと、そんなことも思いました。本作を見ると「社会が悪い」と言いたくなってしまいますが、社会も悪いが、しかし社会も悪いことばっかりじゃない…となんだかフォローを入れたくなってしまう気持ちも同時発生しますね。

 

 

花束みたいな恋をした

花束みたいな恋をした

  • 作者:坂元 裕二
  • 発売日: 2021/01/04
  • メディア: 単行本
 

↑シナリオブック。読み直してまた泣いてしまった。

 

 

↑topisyuさんが激推ししていたので読んだ。

共同生活における家事を分解する

 この増田を読んで、インターネット的ないい話だな…と思いつつ、すげ~小さいところにムムッとなったのでした。

anond.hatelabo.jp

俺はまずてめえの食器を洗い、それから鉄瓶で湯を沸かす。三人分。何回か、「お湯が少ねえよ(多いよ)」のやり取りを経て、数年がかりでおおよその分量がようやくわかったのだ。鉄瓶から蒸気がしゅんしゅん言い始めたあたりで母親食事が終わる。

 ここです。

 この「しゅんしゅん言い始めたあたりで母親の食事が終わる」という表現の「しゅんしゅん」がとてもよく、ノスタルジーを感じさせるいい増田だと思いつつも、「数年がかりでおおよその分量がようやくわかった」というところに、えっマジ?と思ったのでした。

 湯量のいい具合をつかむのに数年がかりかかるの、さすがにかかりすぎでは?

 しかし「かかりすぎでは?」とだけいうのは純然たるクソリプなので、もう少し自分の中での引っ掛かりを考えると、これはけっこう共同生活の家事について重要なポイントを撫でているように思えるのです。

 

なぜ湯量の具合をつかむのに数年かかるのか

 (数年は書き手の“盛り”かなとも思いつつ)書き手は一人分の湯量は問題なく沸かすことができているわけで、ポイントは「作業の一工程だけを任されている」ということと、「適切なフィードバックを受けていない」というところにありそうです。

 共同生活ではなかなか理想的な家事の分担が果たされることは少なく、メインの家事の担い手とサブの担い手という分担になりがちです。そしてこの増田の場合、メインの担い手は「母」です。サブの担い手はメインの担い手が担当しない家事を行ったり、一部を“手伝った”りするわけで、小学生なども「お手伝い」としてこういった家事を担当する中で生活スキルをはぐくんでいくものですが、一部を手伝う場合はいろいろな不具合が発生します。

 つまり、いま担当している作業Aが、もっと大きい家事Xの中でどんな役割を果たしているのか、見通しが立っていないという状態になることがあるのです。

 例えば「靴下をくしゃっとしたまま洗濯機に入れない」というのは、洗濯機の中できちんと洗うためなのですが、「くしゃっとしない!」という指令だけが飛んで、洗濯機をまわすことも洗濯ものを干したり畳んだりすることもないと、「まあくしゃっとしたままでいいや」ということになります。最近自分が料理をする機会が増えたので実感したことでいえば、「野菜を切る」とかも、切り方や大きさによって味や調理時間が変わってくることがあるため、切り方や大きさが指定されているということがわかってきました。

 ここで増田の話に戻ると、増田が「湯を沸かし、人数分の茶をいれる」というところまで担当していれば、3回くらいやっていれば自然と湯量がわかったはず。でもなぜか「湯をわかすだけ」という委託をしているので、謎に数年がかりで湯量をつかむハメになるのです。

 また本当に湯をわかすのをしっかりと委託したい場合は「ちょっと多い/少ない」ではなく、「3人分の茶をいれるには○ミリリットルの水が必要」という数量的なフィードバックをしたほうがよいでしょうね。

 我が家はいま毎朝コーヒーメイカーを使ってコーヒーをいれて飲んでいるのですが、コーヒーの入れ方本を読んで2人分のコーヒーは「豆24グラム、水300ミリ」でいれるということに決定したため、どっちがいれても差が出ません。一方でお茶に関しては(ふたりともあんまりこだわりがないジャンルなのもあって)かなりファジーにいれてます。そうすると出来上がりはばらつきます。

 

共同生活の家事のほうが難しい

 家事スキル、学生時代の一人暮らしではなかなかつかない人もいるよな…という気がしています(学生時代の一人暮らしで家事スキルが付く人は偉い!)。

 一人暮らしで求められる家事スキルと、共同生活で求められる家事スキルって、後者のほうが複雑なんじゃないかな。一人暮らしだと生活が崩壊しようがなんだろうが自分の勝手で、責任も結果も自分が負うのですが、共同生活だと共同生活者との綱引きが発生するように思います。その綱引きによって、暮らしが維持されたり悪化が加速したりするんですね。悪化加速の場合はみんなで落ちてるだけなのでまあいい(いいか?)なんですが、維持されている場合はむしろ大変で、AさんがBさんよりもちょっと頑張っている、だから維持されているけどだからAさんに不満がたまっている、ということがあるあるです。

 その綱引きを少しでも持続可能なものにするために分担などがあるわけですが、増田に戻ると、タスクの途中を分担すると、見通しが立たないので適当になり、最終作業者が巻き取ることになりがちです。つまり理想を言えば分担はまるっと切り分けたほうがよくて、ゴミ出しならゴミをまとめるところとゴミを出すところは分けてはいけないし、買い出しは必要品の把握から担当するべきなんでしょう。

 「名前のない家事」というのは家事の解像度を上げるのに必要な概念ではありましたが、しかしそうした家事タスクを切り分けて担当者をつけていくとむしろ混乱が発生するよな~という懸念もあり。しかし現実は「まるっと委託がしにくいので結果メイン家事担当者の負担が重くなる」みたいなものにもつながりがちで、改めて難しいもんだな~と思いました。