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「黒執事」ほぼ初読の人が30巻全部読んだ感想

 「黒執事」が1月11日まで期間限定で全巻(30巻)無料になっています。これまで「黒執事」はもちろん作品としては知っていて、超序盤(カレーバトルあたり)までは展開を読んでいたり知っていたりします。が、サーカス編以降はほぼ未読で、またネタバレも踏んでいませんでした。

 

 

 今回電子化とアニバーサリーイヤーを記念して無料公開ということで、全部読みました。「うんうん、黒執事ってこういう漫画だよね」というのと、「黒執事ってこういう漫画だったの!?」というのが交互に襲ってくる読み味で、メチャクチャ面白かったです。というド新規の感想(ネタバレ配慮はあんまりない)を置いておきます。

 

序盤:1~5巻 切り裂きジャック編、カレー編

 実を言うと私が持っていた黒執事のイメージは1~3巻(切り裂きジャック編)がメインで、(1)コミカルタッチから入るストーリーだが、最終的には主人シエルが残酷な真実に向き合う、(2)最強執事セバスチャンの活躍を楽しむ、(3)枢先生のメチャクチャ美麗な絵を楽しむ――というものでした。このメインのイメージは30巻読んだ今も変わっていないのですが、「コミカルタッチ」が予想以上にコミカルでひっくり返ったのがカレーバトル編でした。

 黒執事はずっとアクセルをかけ続けられている漫画で、女王御用達をもらうためにカレーバトルをするぞ!!スパイスを探求するのじゃあ!!!という展開と19世紀末のイギリスの闇事件が同じテンションで書かれているように感じます。流れるようにギャグに移り流れるようにシリアス(ブラック)に移るという…。

 現代ではないイギリスの闇を描いた作品で印象的なのは由貴香織里先生の「伯爵カイン」シリーズでしょうが、伯爵カインが耽美×後味の悪いシリアス展開だとすると、「黒執事」はハチャメチャコメディ×耽美×後味の悪いシリアス展開で、黒執事をほとんど知らなかった人(私で~す!)はこのコメディ要素でけっこうびっくりすると思います。びっくりしました。

6~8巻 サーカス編

 ここはアニメでもやっているのでここら辺まで読んだことがある人は相当多そう。サーカスの入団の際の描写などはかなりコミカルですが、全体的にシリアスな印象で、黒執事初心者に「ここまで読んで!」とオススメしやすい区切りのポイント。無料期間中に全部読むのが難しい場合、サーカス編までを読んでみるといい気がします。サーカス団側のキャラクターはほぼ全滅でしたが、生き残ってシエル側に加入するキャラが意外でした(連載時はみんな予想できていたんだろうか…?)

9~11巻 ファントムハイヴ邸殺人事件編

 ファントムハイヴ邸での殺人事件の犯人当て。ミステリーですよ! ここから私は「黒執事ってけっこうちゃんとミステリーなんだけどなんか変な読み味のミステリーだな…」という気持ちに翻弄されることになります。

 ファントムハイヴ邸殺人事件は、ファントムハイヴ邸でセバスチャンをはじめ3人が殺されるという展開になるのですが、面白いのはこれまでの1~8巻で「撃たれまくっても死なないセバスチャン」「刺されまくっても死なないセバスチャン」というのが描かれており、読者は「セバスチャンは死んでないだろな」というのを前提に読んでいくわけです(死神からの攻撃だとセバスチャンも傷を負いますが、この話は死神案件っぽいようなミスリードは張られてない…と思う)。

 ミステリ作品は多くは読者と視点人物が謎の理解度の足並みをそろえていくという展開を見せますが、黒執事の場合は「読者はだいたいわかってるけど視点人物はわかってない前提で動く」という見せ方をしています(これがけっこう独特のズレです)。また、悪魔や死神という常識外の存在がいるにもかかわらず、わりと常識的なアリバイ整理などをやっており、その辺に不思議なおかしみがあります。

 ファントムハイヴ邸殺人事件は物語の展開的には2つの驚きが用意されていて、(1)セバスチャンが実は死んでいなくて、物語における探偵役になりすましている、(2)事件の真犯人、というものなんですが、1がバレバレ(もちろん描く側もバレバレだと思って描いているはず)なんですが物語的な重みが1と2同じくらいの描写で描かれており、2はけっこう凝ったことをやっているんだけど「ほ~」くらいで読めちゃうという、独特の不思議さがあります(これはうまく言語化できている気がしない)

11~14巻 豪華客船編

 タイタニック×ゾンビという最高のおこさまランチみたいな詰め込み方で成立しているのが不思議だけどメッチャ楽しく読めます! 黒執事はけっこうサブキャラを描くのにロングパスがあるよなと思っており、エリザベスはそれを感じるひとりです。もとからあった設定なのか、長期連載になるにしたがって変えていったのか(どちらかというと後者かな? とも思う。中盤~後者のリジーは指輪を癇癪で壊したりしなそう)はわからないですが、読者からの「なんやねんこの子…」からの「ええやないか!!!」のギャップ好きの引き出し方がうまい。

14~18巻 寄宿学校編

 ハリーポッターだ!!!クリケットトンチキずるっこバトルからの急転直下で、リアタイで読んでていて監督生に好感を持っていたファンはメチャクチャショックだったのではないか…(ここまでリアタイで追っかけてた人はそういうこともありえると心の準備をしてたかもしれませんが)。

18~22巻 緑の魔女編

 これも非常にミステリ的な面白さがあるエピソードでした。「森を通るとかかる呪い」の正体が化学合成した毒であり、緑の魔女―サリヴァンが完成させた「究極魔法」が実はサリンであることがわかるシーンはおおっとなります(日本の読者にとってはサリンというのはかなり印象的な毒物ですしね)。この辺から「19世紀末ならではの驚き(戦車とか)」が出てきます。

 ここでやはり面白いのは、黒執事のファンタジーラインの引き方と、読者と登場人物のズレです。悪魔も死神もいる世界なら、「呪い」は存在するのか? 「ゾンビ」を生み出すのは人外なのか人間なのか? というところが完全に開示されていないので、読者は「呪い」「感染病」「毒」の3パターンを考えます。が、主要登場人物は基本的に「呪い」の一本線で考えており(この話は視点人物が中盤から知識を奪われているサリヴァンに移るのであえて一本線で考えるようになり)、真相が明かされたタイミングで「化学毒だったのか!」と登場人物が気づきます(化学毒なのかもしれない…という検討がない)。このテンポがけっこうおもしろいです。

23巻~以下続刊 青の教団編

 突然始まるうたプリやキンプリ!!ここからシエルの真実編になだれこんでいきます。シエルの真実については伏線がずっと張られていたので、わりと一般的な真相開示だと思います。その一方で青の教団編の「青の教団の目的」と「キラキラの正体」の情報開示のタイミングは面白くて、これが黒執事のテンポだ~!と思います。

 青の教団に参加する際に人々は占い師によって「4つの星」に分けられます。その中でも「シリウス」は希少です。私はこれは全然読んでいて疑問に思わなかったのですが(組み分け帽子みたいなもんだと…)、実は血液凝固を見て人々の血液型を振り分けており、血液型別に輸血用に血を抜き取っていたことが明らかになります。

 作中人物は「血液型」という概念を知らず、作中時系列では輸血はまだ成功・確立していない医療技術です。読者はこの教団で行われていることを察し、「あ~」となるのですが(採血する施設をセバスチャンが目撃するシーンもあるので完全にわかる)、話数としては2~3話後に作中人物に“真相”が開示されます。

 話数を書くとわかりやすいのですが、

・117話 セバスチャンが施設に侵入、エリザベスとの戦いへを経て採血施設を目撃する(星の名前ごとに血液が管理)

・118話 ファントム・ハイヴ(悪ロック系アイドルグループ)爆誕、ライバル施設ファントムミュージックホール開城

・119話 ファントム・ハイヴ誕生秘話 血液の分類の判明(輸血実験)

・120話~122話 ファントムミュージックホール大成功! サイリウムはすごい!

・123話 シエルの狙いの答え合わせ回

 とあります。メインの謎のあいだにライブ映像(映像ではない)を入れ込んでいるのがすごい。時系列をしっかり見ていくとシエルとセバスチャンの立案のタイミングがちょっと読めなくなる(厳密には作戦を立てたときには知りえないことを作戦立案時に組み込んでいる)ところもありそうなのですが、そこは全然キズではないです。

 この情報開示タイミングのズレって読んでいると面白くて、何が面白いのかな? とうまく言語化できないところがあったのですが、あえて言うと「セバスチャンの格を落とさず、かつ事件を早く解決させすぎてしまわないため」の展開調整によるものなのかもしれないと感じました。例えば名探偵キャラが「な、なんだってー!」をやると格が落ちてしまうため、ワトソン役がなんだってーをやります。とはいえ、証拠を読者に提示するために出していくと、「名探偵なら早く解こうよ」となってしまいます。多くのミステリではさまざまな証拠をつなぐ最後の証拠が出てきて、そこから解決編になっていくわけですが、黒執事の場合は読者への情報を提示→(タイミング的にはセバスチャンとシエルはここで真相に気付き、計画を立てる)→話の軸や視点人物をずらし、すぐに解決編に持っていかない(もうひと盛り上がり作る)→真相が明かされる、という流れにすることで、シエルとセバスチャンの格を落とさず、読者にも予想と考察の楽しさ(焦らし)を与え、お話を盛り上げるというセンスなのかな…というのが、現時点で思ったところです。

結論

 セバスチャンめっちゃカッコいいな~!

TL(ティーンズラブ)となぜか働いてしまう局所的な倫理観について

 もともとエッチなコンテンツは好きだったのですが、2020年末から体調を崩したのをきっかけにTL(ティーンズラブ)にドハマリしました。また2021年の自分テーマは「名作を読む」なのですが、名作を読むのは体力を使うのです。傑作すぎると体力をどっと使うわけですが、TLでサンドイッチすることでどんどん読めるんですね(ベストバランス!)(?)

 質問箱でどんどんオススメをいただけたのもあり、短期間にいろいろな作品を読んでいったのですが、そうすると自分の好みの輪郭がよりはっきり見えてきます。

素直に楽しめなくなること

 作品が悪いわけではなく、あくまで受け手の私の問題なのですが、TLを読んでいてちょっと素直に楽しめなくなる展開がいくつかあるなと思いました。

・セックスシーンが職場や業務時間中に発生する

・社長と秘書、ご主人様とメイドなど、ヒーローとヒロインの間に雇用関係や上下関係があり、最初のセックスシーンに明確なOKがない(ヒロインが流されたり、酔っぱらっていたり、寝ている間を襲われたり、仕事の一部として性的なことを命じられたり)

・ヒロインの職業がWebライター

 ちょっとこの箇条書きの感じにピンとこない方も多そうなので追加すると、「ティーンズラブ」というジャンルはそのジャンル名からは現在やや離れており、メイン読者層はティーンズではなく(たぶんメインはアラサー)、登場人物もティーンズではなくアラサーが増え、お仕事ものの要素が増えてきています。

 なんらかの仕事をしているOLというのも王道なのですが、フレーバー的にも話の展開的にもヒーローやヒロインに明確に仕事の設定をしていることはけっこうあり、やや余談になりますが2018年ごろからヒーロー側に消防士や警察官のTLが増えてきています(これはヒーローの筋肉の魅力を説得力ある感じに描けるのと、仕事で命の危機が発生するドラマが作りやすいこと、ヒロインのピンチを救う展開を描きやすいというのもあると思います)。

 ただ自分でも不思議だなと思うのが、仕事の設定がはっきりすればするほど、「仕事中でのセックスシーン」が素直に読めなくなっていくんですね。業務時間中に職場の隅で…や、業務時間中に椅子の下で…や、営業の出先でラブホに……といった展開に、「仕事をして~!!!!」「こんなんバレたらクビか謹慎になってまうよ~!!」ってなっちゃうんですよ。変に現実に帰ってくるというか…。特に引き戻されてしまうのがWebライターで、取材先でエッチな目に合う…みたいなのは、あわんでくれ!!!と思ってしまうのです。

※一方で、漫画家と編集者みたいなもので、特に王道展開のひとつ「作家がエッチな展開を描くために編集やファンに体験を依頼する」のは全然気にならないので、そのあたりの判定はザルザルです。

 同時にヒーローとヒロインの上下関係もけっこう気になってしまい、社長命令でエッチなことをされる秘書や、編集者命令でエッチなことをさせられる漫画家、借金のかたにエッチなことをさせられるメイド、医師に無知をつけこまれエッチな診察を受けさせられる患者などは、「エッチだな~」という気持ちと「ムムー!」という気持ちが激突します。繰り返しますがそういった作品が悪いわけでは全然なく、私が読むときに心のどこかに葛藤を抱くという話です。

己のダブスタ

 …と、ここまで考えていて思うのは、自分はTLを読むときは頭のモードをわりと切り替えていて、「エッチなものを読むぞ~!(ワクワク)」というテンションでいるわけです。このテンションでいるときは「エッチであること」が最重要で、たとえばストーリーがハチャメチャだったりお決まりすぎたとしてもエッチであれば大丈夫です!!!というふうになったりもします。

 もっともそのテンションでいるときが男性向け成人同人誌を読んでいるときです。そしてこれは自分でもダブスタだと思うのですが、男性向けR18を読んでいるときは上記の3項目が全然気になりません。

 なんでだろ? と考えてみたのですが、まず大きいのが私が読んでいる男性向けR18は8割NTRジャンルであるということです。もうちょっと自分の気持ちに踏み込んでみると、TLでの職場セックスは「お互いをハッピーにさせる恋愛になるかもしれないのに、なぜそんな危ない橋を渡るのであろう」という気持ちがどこかしらで働いていて、一方NTRでの職場セックスは「寝取ろうとしている相手を堕落させる行為なのだから、当然職場で行われるだろう」と思っているのかもしれません。

 私は現代日本のエロ表現(特に同人カルチャー)は侮蔑と軽視と背徳感にあると思っており、「きれいでかわいい」からエロいのではなく、「きれいでかわいいあの子が(性的に乱れることで)みっともなくなる」からエロくなるのだと感じています。きれいはきたない、きたないはきれいというわけで(?)、FANZA系ではNTRが隆盛を誇っていますが侮蔑も軽視も背徳感も32ページで書けるという素晴らしい関係性テンプレだからだと思っています。

 この価値観の中では、職場セックスはやっちゃいけないことだからエロく、立場を利用にしたセックスもやっちゃいけないことだからエロい、業務中のセックスもやっちゃいけないことだからエロい、やっちゃいけないことをエロいことをやりたいがためにやってしまう女性キャラクターはみっともなくてエロい、という構図になります。私はけっこうこの価値観に浸かっているため、男性向けR18を読むときは「う~ん、エロい!」というテンションになります。

 TLを読んでいるときも、このエロコードに従って作品を読んでいます。が、わりと日常の倫理観がよみがえってきてしまい、「エロいな~」という気持ちと激突してしまうんですよね…。それをあえて言葉にすると、私は男性向けR18にはエロだけを、TLにはエロと恋愛を求めており、TLを読むときは恋愛ジャンルを愛好する私も同時に起立!気を付け!!礼!!!しているということなのかなと考えています。

誰かの萌えは誰かの萎え

 同人界隈では「誰かの萌えは誰かの萎え」といわれることが非常によくあります。それは一個人の中でも発生するんですね。Aジャンルでは萌えるシチュがBジャンルでは萎える。これが私の場合男性向けR18とTLで発生しているということなのでしょう。

 私が素直に楽しめないシチュエーションも、誰かのドンズバ萌えなことが絶対にありえるわけで、自戒として「このシチュエーションは地雷でした~」みたいな表現を安易にしないでおこう、と思っています。(もし言っていたら口がすべっているのですみません…)

 あとこの辺の萌え/萎えってけっこう月日によって変わりそうで、定年退職したら職場セックスものも「若くてヨシ!」ってなるかもしれん。

 質問箱ではいつもオススメTLをゆるぼしています。よろしくお願いします。

 

「恋つづ」に見る令和ラブコメのコレクトネス、あるいは安心安全なキュンの作り方

年末に一挙放送をしていた「恋はつづくよどこまでも」(通称恋つづ)を見ました。佐藤健上白石萌音主演、少女漫画原作の実写化。sugarの施策もハマり、視聴率では「好調ドラマ」くらいですが、公式配信の再生数は「逃げるが恥だが役に立つ」を更新したほどの大ヒットを記録しました。

原作は大人向け少女漫画のベテラン・円城寺マキ先生。原作はもともと読んでいたのですが、ドラマ版は原作とかなり大きな違いがあります。ドラマはかなり「いま」を反映するエンタメで、実写ドラマになるにあたって脚色/翻案された部分を見ると、「いまウケる恋愛もの」の輪郭が見えてくるように思います。
※「鬼滅の刃」の分析もそうなんですが、大ヒットものから社会を語ろうとすると、なんというか答え合わせ的というか、後から言ってる感がすごいものです。今回のエントリにもそういう後付け感があります…ということを先に書いておきます。

「公私混同の恋愛」と「お仕事もの」の融合

「恋つづ」は、学生時代に医者・天堂に巡り合った主人公の七瀬が、天堂のそばに行くために看護師の道を志し、実際に同じ病院に就職を果たすところから物語がスタートします。優しい先生としての顔に一目ぼれしていた七瀬ですが、再会した天堂は「魔王」と呼ばれるクールで冷徹な男でした。それを知らずに初日に告白をしてしまった七瀬は、職場の同僚や先輩たちから「勇者」と呼ばれ、(面白半分で)応援されるようになります。
原作とドラマ版ではこの基本設定(スタート地点)は同じですが、ドラマ版ではかなり「お仕事もの(病院もの)」のエッセンスが強化されています。もともとテレビドラマはお仕事ものの需要が大きいというところもありますが、同時に七瀬のキャラクターのヘイトコントロールがなされています。
職場恋愛―オフィスラブの小説から時代時代の人々の労働と結婚について書いている西口想さんの「なぜオフィスでラブなのか」の帯は「小説から紐解く公私混同(オフィスラブ)の過去~未来」とあります。私はこのルビがすごく好きです。職場で恋愛をするということは公私を混同しています。

なぜオフィスでラブなのか (POSSE叢書 004)

なぜオフィスでラブなのか (POSSE叢書 004)

  • 作者:西口 想
  • 発売日: 2019/02/25
  • メディア: 単行本


↑職場恋愛絶対殺すマンのぱぴこさんなどもいる

恋愛のために職場に入ってきた七瀬はドジで、先生との恋愛の一進一退が仕事に影響を与えたりします。これはメインの視聴者―働く20~30代女性にとってはネガティブな印象です。「恋愛のことばっか考えてないでちゃんと仕事せいや」ということですね。
原作でもそういった批判を浴びる展開があり、七瀬は病院での患者との出会いで看護師としての成長を目指していくのですが、実写ではこの「患者との出会いと七瀬の成長」をさらに大幅増量して厚めに描くことで、「公私混同して職場に入ってきた恋愛脳の女」から「仕事も恋も頑張っている一生懸命な女の子」へと視聴者の気持ちをコントロールしています。またその一生懸命さがヒーローこと佐藤健が惹かれる一因になる…というようになっていますし、恋が発展してからは天堂の上司の医師・小石川(山本耕史)に「仕事とプライベート、そんなにきっぱり分けられるもんじゃない」と公私混同をフォローするようなセリフを入れています。
公私混同の恋愛を貫くには、まず公で成果を挙げてからじゃないと「まずは仕事しろ~~~!!!」ってなっちゃうんですよね。また仕事をしてないで恋愛にうつつを抜かすヒロインにヒーローが惹かれてしまうのも説得力を感じたくなくなってしまうわけです。もちろんドラマ版のお仕事物要素も、七瀬が何かに気付く→周囲がそれに助けられる、という繰り返しなので、それはそれでありがちすぎるとモヤモヤした視聴者もいたと思います。が、なかったらもっとモヤモヤしていたと思うので、いい追加要素だったように思います。
ド余談ですが私は最近エッチな漫画ですらその辺そわそわしてしまい、ピザの配達員のお兄さんと人妻がいい感じになってしまうエッチな漫画「45分で彼を届けて」も、「こんなに配達してから時間かかってたらこのお兄さんクビになっちゃうんじゃないの!?」と心配になりました。
恋愛が成立してからはお仕事もの要素はやや後景に行き、当て馬御曹司の登場&退場や大惨事の交通事故など、より恋愛フィクションレベルが上がっていきます。が、最初の5話くらいでツン天堂→デレ天堂への助走がついており、もう離陸しているので、七瀬へのヘイトコントロールはそこまで気にしなくてよくなった(佐藤健の腕力と上白石萌音のかわいらしさでへし折られる)のかもしれないなという感じでした。私個人としては後半はもうデレデレの天堂が出てきてかっこい顔で何かを言う→I love…のコンボが炸裂するたびに床に轟沈していました(のでもう公私混同のこととか考えられなくなった)。
ちなみに同じくコントロールがうまいなと感じたのがキスのタイミングです。原作だと1巻ラストのエピソード(ドラマだと2話)、受け持った患者の初めての死に落ち込んだ七瀬を励ますためにファーストキスが発生します。そこから原作の天堂は「七瀬が好きなわけではないが、ファーストキスを奪ってしまった責任と、七瀬を一人前のナースにするためにキスをする」みたいな感じで進んでいき、「好きだからキス」というわけではありません(好きなわけではないってわかってます、というようなセリフもあります)。原作では二人が本当の意味で両思いになるのは天堂に留学の話が持ち上がり、七瀬が天堂の背中を押したこと、天堂がみのりの死を乗り越えられたからです。
ドラマでは2話ではキスがなく、3話で七瀬に(無自覚な)恋に落ちたシーンを挟み(ここでの佐藤健の瞳の演技が素晴らしい…)、4話ラストで原作1巻ラストのキス、5話最初に「彼氏になってやる(キレ)」のセリフが入っています。「恋つづ」は原作のセリフや展開をちりばめたり違うエピソードのセリフを違うエピソードに持っていったりして、かなり大胆な整理が行われています。(ほかにも、天堂の過去(恋人・みのりの死)も原作では中盤に明らかになりますが、ドラマ版は1話の段階で視聴者に明らかにされるなど、情報を出すタイミングはかなり細かく変更されています)
インタビューを見ると、制作陣が「好きになってからのキスのほうがいい」ということで初キスのタイミングをずらしたとのこと。
恋つづは4話くらいからネットでの盛り上がりが加速していくのですが、いい焦らしだったと思います(ここからメチャクチャキスシーンが増えていく)。ドラマ2話の段階だとまだ七瀬のかわいらしさが視聴者にインストールされきっておらず、かつ天堂は天堂で「過去の恋愛に痛手を負っているけど、好きでもない女にキスをする」というのがややネガティブ(というかチャラい的)な印象になるため、「(自覚はないけど)心が動いていたからキスをした」というふうに見える整理で素晴らしい。ふたりを嫌いにならないまま、安心してキュンに飛び込んでいける感覚です。
実写だと、人間のネガティブな部分の解像度がかなり上がってしまう印象があり(なにせ実写は情報量が多い)、漫画で描くよりも「バカキャラ」「アホキャラ」は繊細な手つきが必要とされるし、「人が人を好きになる」というのにエピソードが必要なのではないかと感じています。というか実写だとエピソードがないと役者の情報がもろにフィードバックされて、「なぜ好きなのか→佐藤健の顔だからだろ!」みたいになってしまいかねないんですよね。

その恋はハラスメントか?

職場での(立場の高低差から生まれる)恋愛とハラスメントは限りなく線が引きずらいことから、2020年のいまは「上司と部下の恋愛もの」というのはかなり繊細になってきているように思います。
読者の欲望として「俺様鬼畜ドS男」には需要があります(女性向けの恋愛ゲームなどでは、なんだかんだで俺様キャラが人気上位にきます)。一方で令和に生きる読者としての我々には「それはモラハラパワハラではないか?」という引っかかりが常にあります。多くの視聴者にとってそれは「なんかイヤだな」という感じで言語化はされません。
おっさんずラブ」は、部長が部下(春)の情報を集めたり仕事状態をコントロールしている描写があり、一部では「セクハラでは…?」という指摘もありました。物語自体がコメディタッチだったことや、恋愛部分のメインが部長とではなく春と巻だったために放送が進むにつれて指摘は減っていきましたが、部長との恋愛ものとして作られているとけっこうきつく感じる人もいたのではないでしょうか。
「恋つづ」は、七瀬からのグイグイから始まり、天堂がそれに折れて応える形で関係がスタートします。もう全然違う話になりますが、もし天堂が学生の七瀬に一目ぼれし、偶然同じ病院にやってきた七瀬にグイグイ行くラブコメだと、けっこうきつさを感じる人も多そう。令和のラブコメにおいて、立場が下のものからグイグイいき、最初は拒んでいた上のものが根負けして折れる…というのがしばらくの無難なパターンとなるでしょう。

朝チュンすらない

原作は大人の女性向けのキュン漫画なので、わりとしっかり本番シーンがあります(複数回)。しかしドラマ版は、9話のあとにたぶん一線を越えているのですが、微臭で匂わされる感じで名言されてはおりません。この辺逆転していて面白いな~と思うのですが、ジャンルマンガ(TLやBLだとさらに顕著ですが)だと「読者が求めている」ので入れられる(時にノルマ的でもある)ちょっとエッチなシーンが、実写にするとオミットされる、そしてオミットしても成立するというのが、なんとも複雑な気持ちになります。みんな本当はエッチなものを見たくないのかもしれない…?(最近の疑い)

自分的にまとめると、ドラマ版「恋つづ」は、読者のストレスを極力やわらげつつ、ヘイトコントロールをして、素地を作ったところにキュンをぶちこみまくるという、非常に素晴らしいつくりをしたドラマでした。もちろんそんな構成と演出を役者が全力で演じきったことは言うまでもなく、上白石萌音の芯が強く一生懸命かつコミカルなかわいらしさの説得力は最高でしたし、クライマックス9話の佐藤健の告白の演技など「涙ってこんなに狙ったようなタイミングで落とせるの?」と震えるくらい素晴らしかったです。
さて、ここまでもだいたい余談みたいな内容でしたが、ここからはさらに余談的になります。

たけもねへの強い欲望

恋つづが面白かったのは、少なくない視聴者が佐藤健上白石萌音カップル的な関係を求めたところにあります(まあ怒ってた人もいると思うけど…)
それはsugarで視聴者と距離を縮めながら番宣をしまくった佐藤健にも原因があるというか、かなり意識して天堂と佐藤健の境界線があいまいにされていたと思うのですが、Twitterのファンアカウントが佐藤健のアドリブや演出提案に「これは天堂先生ではなく佐藤健!」みたいな褒め方をしていたり、主演ふたりを「たけもね」として仕事外での交際も期待していたりと、BL界隈でナマモノ妄想をすると怒られることを考えるとかなりあけすけな欲望のぶつけ方だな…とドキドキしました。
佐藤健は「バクマン」だったり「るろうに剣心」だったりと二次元実写化の経験があるから2.5次元舞台的な神降ろしが起こっていたのかもしれない…(2.5次元舞台の場合、有名な原作と一般的にはまだブレイクしていない俳優が重なることで役者にキャラを“降霊”させる向きがあります)と一瞬思ったものの、むしろ逆かもしれないですね。少女漫画実写の場合一般的には佐藤健知名度のほうが高いために、むしろキャラに役者が乗ってしまうのかも。
私はこの役者とキャラを同一視する、かつ作中のカップル関係を実際の役者にも求めている(本当の本当に求めているかはわからないけど)ナマモノ的欲望がかなり興味深く、この巨大な感情を飲み込んでいる役者は本当にすごいなと思います。ただ、今年出たユリイカの女オタク特集にコラムを書くときに海外の半生&ナマのファンコミュニティについて聞いたのですが、キャラと役者を重ねてしまう受容のほうが人間一般的、分けて考えられるほうが相当珍しいのかもねという話になり、そうすると自然なことなのかもな…と感情がウロウロしています。

実写の「生々しさ」をどうするか

小学館のフラワーコミックスは、「恋つづ」だけではなく、いつドラマ化してもおかしくないな〜というくらいひそかなヒット作がたくさんあります。たとえば「ラブファントム」は年の差カップルのだいぶエッチできゅん要素が大きい作品ですが、ヒーローが40歳、しかし漫画の40歳と実写の40歳の説得力が違いすぎるので、実写化の際はかなり脚色が大きくなるでしょう。わりと早い段階でヒーローとヒロインが肉体関係になりますが、「おじさまが若いヒロインに心を打たれて付き合う」というより「おじさんが若い女にうつつを抜かす」みたいに見えかねない。なのでなるとしても恋つづと同じくセックス描写はかなりオミットされそう。上の方にも書いたのですが、漫画を実写にした時にどうしたって発生する「生々しさ」をどう解決するかというのが、少女漫画実写のポイントになるのかな…とぼんやり思っています。