女子小学生とフェルトの財布
これはフィクションなんだけど、10年来の友人と飲みに行った。彼女とはインターネットでの同人活動を通じて知り合い、お互い年も近かったのもあって定期的に会っていた。お互いが当時のジャンルから離れても交流は続き、なんだかんだで半年に一回は会っている。
「これまで言えなかったんだけど」と彼女は話し出す。
「Fさんって覚えてる?」「えーと、ジャンル内ピコ手の。ちょっとぷにっと系の絵を描く…男の人だったっけ?」ピコ手というのは大手の逆のこと。「そう。仲よかった?」「いや、オフ会で一回か二回会ったことがあっただけかな」
よく言えば優しそうな、悪く言えばあまり印象に残らないひとだった。背がすっと高かったことは覚えている。確か年齢は20歳そこそこだったろうか。
「あのね」「うん?」
彼女は一回ためらって、
「私、Fさんと付き合ってたことがあるの。あのジャンルにいたころ」
「んん??」
首を傾げてしまう。あのジャンルにいたころ、彼女は……
「うん、12歳。小学校6年生だった」
「だよね。ええと、彼は」
「22歳」
「22歳……」
思わず引き算をしてしまう。22、引く、12は。
35引く25とは、なぜか違う数字が出てくる。
「聞いていい?どうして付き合うことになったの」
「私の片思いだったの。優しいお兄さんだなって好きになって、ふとしたきっかけで電話するようになって、お母さんにバレないように毎晩電話してた。電話で勇気を出して告白したらね、いいよって言ってくれたの」
「それまで会ったことは」
「なかった」
「なかったけど、好きだった?」
「なかったけど、好きだった」
彼女はつらつらと話し出す。
付き合うっていってもね、女子小学生だもの、なにもわからないよ。毎日のように電話して、会いたいなっていって、相手の好きな音楽の話をした。大学の話なんかを聞いたりもしてね。とても楽しかった。はじめてのおつきあいだったの。あの日が来るまでは。
晴れて恋人どうしになった彼と彼女は、初めてのデートに行くことになったという。場所は都内の動物園。浮かれた彼女は彼を見て、そして違和感を覚えた。
「私を初めて見た彼はね、『あれ?』って顔をしたの。まるで何かを間違えたみたいに」
違和感の棘を残したまま、2人の初デートは続いた。夕方5時までの楽しい時間。手をつないだりして、キスはしなかったりして。
別れ際、彼女は彼にプレゼントを渡した。
「会ったら渡そうと決めてたの。家庭科の授業で作ったフェルトの財布。青と水色でできていて、男の人に合うと思った」
フェルトの財布を手渡された彼は、ひきつった顔でお礼を言った。ありがとう、嬉しいよ。
そしてその翌日、彼は彼女を振った。
「ごめん、妹にしか見られない。そう言われたよ。当時はすごく悲しかったけど今ならわかる。フェルトの財布は、つらかったよね」
彼女はそう言い終えて、ふっと笑う。
その呼吸の合間に、尋ねることにした。
「どうして今、その話をしたの?」
「最近ね、彼氏ができたの。かわいいかわいい、私だけの男の子。もし私がフェルトの財布を渡されたらって思うとね、なぜかな、すごくぞくぞくするの。ねえ、どうしたらいいと思う?」
僕たちがナンパをする理由
これはフィクションなんだけど、井の頭線渋谷駅を通過しようとしたその瞬間、声をかけられた。「お姉さん今帰り?友達と飲んでたの?俺もそうなんだよ」。お手本のようなナンパだった。
これは悪癖のようなものなのだけど、ナンパをされたとき、確実に帰れる時間の余裕がある場合は時折ついていく。適当に話を聞くこともあるし、「ナンパ師に興味があるのであなたのことを教えてほしい」と話す場合もある。その日の気分は後者だった。
「ねえLINEやってる?教えてくれない」「ツイッターのアカウント教えてくれますか?」「やってないよ」「お兄さん、30分だけ時間ありますか?」「え、あるけど」「じゃあ、30分だけ飲みましょう。あなたの話に興味があるんです」
そう言って入ったビアバー。黒縁メガネの男性は、29歳で、コンサルをやっているという。荷物は持っておらず、飲み会帰りのようでわずかに酔っていた。
「あなた、なんなの?」
「個人的にナンパ師に興味があって。名前教えてくれますか?」
「嫌だよ」
「じゃあ斉藤さんって呼びますね。斉藤さんは普段からよくナンパをしているんですか?」
斉藤さんは「なんなの」と言いながら、それでも黙りこくったりはしない。
ナンパは酔うとたまに。打率はそこそこ。改札の前が最近調子がいい。友達のほうがよくナンパをしてる。場所はコリドー街とかそのへんで。ナンパをしてる理由? そんなの性欲だよ。俺たちの友達みんな、いろんな女の子をヤリ捨ててる。
「でも、斉藤さん、普通にかっこいいし、普通に女慣れしてるじゃないですか。彼女もいますよね?」
「うん、まあ、そりゃいるよ」
「性欲を解消したいなら、彼女とかセフレとか、わざわざ見知らぬ人相手にしなくても、継続的な相手のほうが楽ちんなんじゃないかと思うんですけど。刺激が足りないとかそういう?」
「…わかってないなあ。俺たちがナンパをするのは、男に自慢したいからだよ」
斉藤さんはちらりとスマホに視線を投げる。
「LINEグループがあるんだよね。そこに、ナンパが成功したらみんなシェアしてる。女の子の写真を隠し撮りして、やってるときももちろん撮って、そのグループに流してる。こんな可愛い子とやったよ、こんな可愛い子をやり捨てしてやったよ、こんな可愛い子をセフレにしたよって自慢する。それが楽しくてナンパをしてるんだよ」
茶化すのは控えた。
「教えておくけど、ナンパに着いてったら、絶対無音カメラで盗撮されてるよ。ハメ撮りとかも絶対に撮られてるし、LINEのやり取りもスクショして流してる。お姉さんLINEの登録名本名にしてる?もししてたら、俺たちはその子のFacebookを検索してみんなで共有する。この子ビッチだなあって盛り上がっておもちゃにしてるんだ」
「斉藤さんもやってるんですか?」
「俺はしないよ。どっから流出するかわからないじゃない」
「斉藤さんもハメ撮りを?」
「俺はしないよ。別に男に認められなくてもいいし」
「嘘つきだなー」
「うん、これまで言ったことは全部嘘。他に何か聞きたいことある?ホテル行こうか?」
「私の写真も撮るんですか?」
「撮らないよ。行く?」
「嘘つきだなー。既婚者だから行きません」
そろそろタイムアップだった。もう斉藤さんの心のシャッターはしっかり降りていて、本当らしいことは何も聞けそうになかった。残りの約5分間はどうでもいい話でクロージングだ。
「最後に聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
「ワンピースとジョジョは何編が好きですか?」
「ワンピースは空島。ジョジョは2部」
「特別な不倫」というものはひとつも存在しないの
これはフィクションなんだけど、私には4歳上の友人がいる。彼女とは私が小学校6年生の時からの知り合いで、インターネットのオフ会で出会った。彼女は26歳、今の私と同じ年に結婚した。彼女から「会おうよ」とDMで連絡が来たのは実に2年ぶりで、私はホイホイと渋谷のサイゼリヤに向かった。
サイゼリヤで彼女はいつも最初にランブルスコを注文する。お互いのグラスに注ぎ、乾杯をし、唇を潤して、それからすぐに彼女は本題を話し出す。
「旦那がね、不倫をしたんだよね。しかも重めのやつ。火遊びじゃなくて、本気のやつ」
2年ぶりに会ったにしてはいささかヘビーな出だしではあった。旦那。私は思い出す。彼女の配偶者はいったいどんな人だったっけ。なんだかすごく、ふつうな人だったような。
私の表情を読んだかのように、彼女は頷く。
「うん、ふつうの人だよ。ふつうに優しくて、ふつうに働いていて、ふつうに私のことを大切にしてくれていた。そして、ふつうに浮気をして、ふつうに燃え上がってしまって、ふつうに私にバレちゃった」「どうしてバレたの?」「LINEの通知が、メッセージ非表示になるように変わってて。今までそんなことなかったのに」「わー」「携帯のパスワードも変わってて」「うわー」「寝てる間に彼の親指当てて解除したら、まあすごいメッセージばかりだったね」「わあ……」
きっかけはというとこれまたよくある話で、高校の同窓会で、ごく短いあいだ付き合っていた女性と再会したのだという。お互い既婚者で、家庭のささやかな愚痴から始まり、過去の思い出話、そして。
「どう思う?」
彼女が尋ねてくる。私は言葉を選ぼうとして、結局うまく選べなかった。
「すごく、ふつうだと思う」
「でしょ? 私もびっくりした。1から10までテンプレでしょ? こんなの小説に書いたら先が読めすぎるって読者から怒られちゃうよ」
でもね。
「恐ろしいことに、旦那はこれが『ふつう』だとは少しも思っていないの。なにか特別なことが自分たちに起こっていると思っている。特別な自分たちに、特別なストーリーが降りかかっていると思っているんだよ。旦那は『物語の主人公』で、あの人は『ヒロイン』で、そして私は……なんだろうね」
はためから見れば類型化されたお決まりの陳腐なラブストーリー。
でも彼らにとっては、特別に彩られた物語。
「そりゃあ気持ちいいよね。そりゃハマっていくわけだよ。脳内物質がドバドバ出て、どんどんエモーショナルな気持ちに飲み込まれていく。会えなくてさびしいねってLINEで打つたび、頭の中には感動的なBGMが流れてる。実写化したら、男は高橋一生で、女は黒木華になるんじゃないの? 一方でさ、家庭にはエモも物語もないの。星野源じゃないけど暮らしがあるだけで、なんなら流れている映像は『サザエさん』だよ。もう作画どころか放送時間帯が違うの」
それって、ひどい話じゃない?
彼女はそう言う。
「……どうするの? 問い詰めるの?」
「そんなことしたら、さらに悲劇のストーリーに巻き込まれるだけ。私はあの人たちに利用されたくないの。私は私の物語の主人公であって、あの人たちのお話の登場人物にさせられるのには我慢ができない。だからね、絶対に言わない。ばれてるよ、知ってるよ、あなたたちはつまらないことをしているよって言わないことに決めた」
「でもそれはそれで悔しくない?」
「悔しくないよ」
彼女は笑う。
「私もね、陳腐なお話の主人公になることにしたの。すごく普通で、すごく普通の物語。……思った通り、すごく気持ちよかった」