アオヤギさんたら読まずに食べた

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知らない女とポーチの中身

これはフィクションなんだけど、友だちのDくんは真正の「メンヘラホイホイ」だ。彼はなぜか精神が不安定な女の子とばかり付き合うか、もしくは付き合っている彼女の精神が不安定になってしまう。

ふとした偶然から私はDくんの彼女と友だちになっていて、むしろDくんよりも彼女との方が親しい。彼女はDくんの彼女らしく精神は不安定で、しかし人に危害を加える不安定さではないし、そして独特の何をするかわからない不穏な感じがあって、私は彼女が好きだった。彼女は仕事を長く続けることはできなくて、これまで20種類くらいのバイトを転々としていて、仕事先で会ったおかしなひとの話を聞くのも好きだった。

ある日私は彼女に呼び出された。「久しぶり~」3週間ぶりに会った彼女の声は、いつもの底なし沼のような声ではなく、不思議とさっぱりと乾いた声をしていた。開口一番、思わず聞いてしまった。

「もしかして……Dくんと別れた?」

彼女は不思議そうに首を傾げる。

「別れてないよー。なんで?」

「いや……なんか、なんとなく。いつもと顔が違うから」

「ええ~、そうかな? あ、でもね、そういえばね、就職したよ。そのせいかな~?」

「えっ」「正社員です~」「ええっ」

失礼かもしれないが思わず絶句。正社員と彼女は、どうにも食べ合わせが悪い単語だと思っていたので。

「聞いてもいい? なんで就職したの? Dくんに養ってもらうからいいんだもん~って毎回言ってたじゃない。なにかあったの?」

「んー。あのね、ポーチを見つけたの」

「ポーチ?」

「Dくんの家のね、洗濯機の裏に落ちてた。ピンクの花柄のポーチ」

ほら見て見て~と、彼女は画面がバキバキに割れたスマホを差し出す。画面にはかろうじて、花柄のポーチの写真がうつっている。ひびわれたポーチが。

「これは……」「わたしじゃない、知らない女のポーチかな」「う、浮気?」「ううん。わたしと会う前にDくんが会った、知らない女。と思ってたんだけど」「思ってたんだけど?」「Dくんに聞いたら、誰のかわからない、って心底不思議がってたんだよね。もしかしたら、誰かが投げ込んだのかもしれないね」「んなわけあるか……」

あるかもしれない。そういえば一人暮らしの友人の洗濯機の中から、女物の下着が1枚出てきた話を聞いたことがある。彼はそこに女性を連れ込んだことは一度もなかったし、女装癖もなかった。ドラム式の洗濯機が、まるで異世界のドアのように、見知らぬ女の見知らぬ痕跡を残していく。

そんなことがあるかもしれない。

「ポーチの中には何が?」

「生理用品」

「うわあ」

男の家の生理用品かピアス、女の家の剃刀か煙草。

残ってしまう痕跡。残ってしまう執着のかたち。

「大丈夫、新品だよ。使用済みじゃないよ」

「そこの心配はしてなかったかな……」

にこにこと笑う彼女は楽しげにそう言って、そのあとすっと表情を消した。

「ポーチの持ち主を、わたしもDくんも知らないよ。でもね、わたしは知ってるって思った。――これは、知らない女は、きっと、わたし」

「え?」

彼女は彼の家で生理用品入りのポーチを見つけ、そして確信したという。彼の家に入ることを許されて、彼の家にこのポーチを置いていけて、そして彼のことを愛している彼の恋人。

そんなひとが2人といるはずがない。

「未来のわたしが、彼の家に投げ込んだ」

彼女はカバンをあさりだす。彼女は荷物が多く、カバンは少しだけ傷んでいる。そうして彼女がカバンから取り出したのは、さっき画面にうつっていた花柄のポーチだった。

ひびわれていないポーチだった。

「どうして就職したかの話だったよね」

「ああ……うん」

「ポーチの中にはね、もういっこ入っていたの。ピンクベージュの口紅。いまのわたしにはちょっとお高くて手が届かないし、そもそもつまらなくてつけたくない色。でもね、未来のわたしは」

彼の部屋にポーチを投げ込む未来の彼女は。

「きっと、ピンクベージュの口紅をつけているような、つまらない女になってるはず」