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「アンチフェミニスト」とはいったいどんな人なのか

今現在、もっとも草の根的なフェミニズム/アンチフェミニズム議論(のようなもの)が盛んにおこなわれている場所はおそらくツイッターだ。Togetterには定期的にフェミニズムに関するまとめが並ぶ。

以前、知人の40代男性と「最近面白かったTogetterまとめ」についての会話をしたことがあった。仮にAさんとしよう。Aさんはこのまとめを挙げた。

togetter.com

俺はさ、この人の言ってることがわかるんだよね。俺にとって男の同僚はライバルでしかない。男女平等になったら、ライバルの女が増えるだけだよ」

私はこう聞いてみた。

「このまとめの発言主はゲームのシナリオライターや作詞家をやっている人。こういうクリエイターや著述業って、サラリーマンの競争社会とはまた違うし、男女の差も他の業種と比べたら出にくいジャンル。副業はしてるかもしれないけど、基本的にそういう中で働いている人がこういうことを言うの、Aさんの実感や実態とは明らかにズレると思うんですけど」

「(職業に関して)えっ、そうなの? でも、わかるんだよ」

Aさんはさらにこう言った。

「そもそもフェミニズムが嫌い。昔は支持してたよ。それはフェミニズムの考え方は『女だけじゃなくて、男を含む弱者全般』を救うものだと思っていたから。だけど、フェミニストの人たちは自分の権利を主張するばっかりだった。あの人たちの言っている世界が実現したら俺たちは損をするばっかりじゃない?

Aさんは自分が「小さい頃から競争しろと言われ続けてきた」「自分は競争からドロップアウトした人間」と続けた。「でも年収900万ありますよね?」「でも俺よりもらっている奴はいっぱいいるんだよ」「そうか……大変だな……」。

 

正直、Aさんのその発言を聞くまでは、いわゆる「アンチフェミ」の人たちのことを「よくわからないことを言っているいつもの人」と思っていた。しかしインターネットの地獄性について盛り上がることができ、私よりも頭が良くて仕事ができて年収が何倍もあるAさんが、アンチフェミの人たちと同じことを言っているのには衝撃を受けた。

 

……という話をジェンダー研究をしているBさんにしたところ、勧められた本が『社会運動の戸惑い フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』である。

 

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

 

 

著者は山口智美、斉藤正美、荻上チキ。この本は、1999年の男女共同参画社会基本法にまつわる、フェミニズムの活動とそれに対する保守派の反発・反動――バックラッシュについて取り上げている。

ポイントは、フェミニズム側の著者が、バックラッシュ側にていねいな聞き取り調査を行っていること。「なぜあなたたちはフェミニズムに反対したのか?」という問いかけが、糾弾ではなく質問・調査として成立している(少なくとも本の上ではそう見える)。

そこで山口・斉藤・荻上らは、「無知無学」「旧来の男装女卑思想」「悪魔のよう」に見えたバックラッシャーが、実はそういったレッテルでは表現できないことに気づく。

対話も実証研究もないままに、テキストの言説分析に多くを依拠したまま、「バックラッシュ」や「バックラッシャー」、「バックラッシュ派」というイメージが先行し、フェミニストたちによって語られて行った。そのうえで、「バックラッシュ」は「若年男性」「周縁化された男性」「中高年保守層と若年男性層」「主婦」「主婦」や「主婦のいる主人」の男性によって担われているとされ、あるいはそういった人たちは「普通の人々」であるとされるなど、当て推量のもとに様々に論じられていく。(p41)

 

(バックラッシャーにまつわる言説や解釈は)「バックラッシャー」は自分たち(※女性学・ジェンダー学者や弁護士、運動体など)とは著しく異なる他者であるとみなす機能を果たしてしまった。それは、係争における論争相手=保守運動家たちが、「敵」としてのフェミニズムを過大視し、実態とは大きく異なるイメージを保守論壇内で共有した姿と、まるで鏡写しのようでもあった。(p44)

 

本の中では、何人ものバックラッシャーが紹介される。しかし彼らはほとんどがフェミニズムをよく勉強しており、「不理解ゆえに反対」しているのではなかった。また、「専業主婦に育てられた箱入り」というわけでもなかった。

たとえば、条例がひっくりかえされたことで知られる宇部市の例。「男らしさ女らしさを一方的に否定することなく男女の特性を認め合い」と「専業主婦否定することなく」と記述が追加された条例をめぐって保守派として先導的な活動をしていた広重前市議に関しては、このように紹介されている。

小学校一年生のときに父親を亡くし、母が一人で、姉三人と広重の四人を育て上げた。(中略)母のことを大変誇りに思っていることなどを聞いた。そんな広重は、「男女平等は当たり前のことで、男女共同参画などとなぜ特別にやらねばならないのか」と言う。たくましかった母親のイメージが強いことが、「男女平等は当たり前のこと」という考え方につながっているのかもしれない。(p77)

都城市の有満議員の言葉もとても興味深い。有満氏は二歳で父を亡くして母子家庭で育っている。

(都城市の旧条例について)基本的にダメだと思った。やはり男らしさ、女らしさは持ち続けていないといけない。本質的な問題だろう、とその時は特に、強く思ったですね。

(都城市の男装女卑について)島津藩(薩摩藩)っていうのは、見かけは男性上位だけど、しかし内実は女性が牛耳っているわけだ。(中略)だんなは、一番上座にあって。(だけれど)実質は、経済面もなにも奥が牛耳っているのだから。(p177-178)

 テレビ番組「VOICE」で保守派の象徴のように扱われた北川豊中市議の言葉もある。

(母親は)そういう意味では完全に自立してましたよ。もう自立せざるをえない。男社会のなかで、小さいながらも経営者としてやってきたわけでしょ。だからぼくはそういう母親を黙ってみてるから、だからたとえば男女共同参画のあれにしたって、そういうのは言うだけじゃなしに、一度はそのなか飛び込んでやってごらんよと。昔からそういうのやってきてる人はいるんやでと。何が権利やねん。どうのこうのと言うのはそれは勝手やけれども、その前に自分でやってごらんってね、ぼくなんか心の片隅にそれはある。(p307)

ここに挙げた彼らはみな、母親によって育て上げられ、母親のことを尊敬している。誇りに思うがゆえに、母親を否定するような/母親ほど努力をしていないような/母親に劣るように見えるフェミニズムの考え方や活動家を否定している。

母親たちの苦労は、母親たちや子どもたちにとっての「勲章」である。フェミニズムはもしかしたら「楽をして勲章を手に入れる」行為に見えるのかもしれない。

 

『社会運動の戸惑い』を読んで真っ先に思うのは、ひとくちに「保守派」と言っても、バックボーンや思考は違うということだ。当たり前のことなんだけど、なぜかジェンダーや性に関することだと立場ばかりが問われてその辺の認識がどこまでも雑になる。

「結びにかえて」ではこのようにまとめられている。

保守運動とフェミニズム運動の対立は、あわせ鏡のような構図だった。フェミニズムを「共産主義」「男女同質化」「フリーセックス」とレッテル貼りする保守運動に対し、フェミニズムもまた、保守運動に「新自由主義」「新保守主義」「反動」とレッテルを貼っていく。両者とも互いを「敵」として捉え、議論や対話を重ねるためではなく、それぞれの業界向けの動員の言葉として、これらのレッテルを振りかざしていく。そこでは、実態を表した適切な表現ではなく、流言に等しい表現が多く氾濫した。(p328)

バックラッシュが盛んだったのが2004年から2005年ごろ(フェミニズムの弱体によってバックラッシュも弱まる)。いまTogetterで起こっている多くのことは、10年前とほぼ変わっていないのではないか? という疑問が出てくる。

ウルトラ汚い言葉を使用すると、「フェミ」(※カギカッコ付きの「フェミ」)は「アンチフェミ」に「非モテ童貞低収入」とレッテルを貼り、「アンチフェミ」は「フェミ」に「嫁き遅れブスババア」とレッテルを貼る。そんな地獄が、2015年になってもまだ展開されているように見える。

レッテルを貼るのをやめたい。ただ人間はレッテルを貼ると安心する習性があるので、貼るのをやめるのってとてつもなく難しいだろうなって思ってしまう自分もいる。